ウユニ塩湖ついでのラパス体験に感動!~ボリビア編~
11月11日
クスコからウユニ塩湖へと移動する。昨今の絶景の旅ブームでがぜん注目されているウユニ塩湖。せっかく南米まで足を伸ばすのであるからこの機会を逃す手はないと私たちも日程に組み込んだ。
クスコから10:35発のアマソナス航空(Z8-501便)でまずはボリビアの首都ラパスへ向かう。
クスコのアレハンドロ・ベラスコ・アステテ空港の滑走路。有視界飛行方式をとっているため早朝からお昼にかけて発着する便が多い。
空から眺めると高地にあることがよくわかるクスコの街並み。
ペルーとボリビアにまたがる広大なティティカカ湖。標高3980メートルにある。島の周りの水が緑色で美しい。天国のような光景に見え、ボリビアはとんでもない自然の宝庫であることをうかがわせた。
約1時間でラパス到着。エル・アルト国際空港は標高4082メートルにある世界最高所の空港である。外へ出ると高地特有の空気の圧迫感を感じた。
空港の出迎えに来たガイドさんは、「日本人の99.9%はウユニへ行く」と言っていた。彼らにしてみると、ボリビアには他にもトレッキングやライディング、ティティカカ湖のアクティビティなどを楽しめる魅力的な場所がたくさんあり、他からの観光客はそうした場所を組み合わせて訪れるのに対し、日本人は脇目も振らずにウユニだけを訪れるので奇異に感じているようであった。日本人のウユニ・ブームがそのように見られていたとは、とても新鮮だった。
ラパスは周りを6402メートルのイリマニ山をはじめ、4000メートル級の山々に囲まれたすり鉢状の街。斜面に建物がびっしり建っている景観はインパクトがある。周りの山々が高いという点では、カトマンズを大きくしたような印象を受けた。
ラパスの治安について、ガイドさんはしきりに「大丈夫」と言う。命は狙われないから「大丈夫」だけど、くれぐれも貴重品は持って出歩くなと念を押された。彼らにとって治安が大きな問題であることがうかがわれる。ホテル(ロサリオ)近くの広場で大鍋のスープを食べている人たちが車窓から見えたとき、私が「何が入っているのかな?おいしそう!!」と言ったら、すかさず「そっちの地区へ行ってはいけない」とも釘を刺された。
というわけで、恐る恐る街歩きに出た。さらに不安が募ったのは、ガイドブックに「偽札が多く出回っているので両替時にはお札をちゃんとチェックするように」とあったこと。両替商で「これでいいのかな?」と思いつつ一枚一枚を確認した。
まずは腹ごしらえということで、アンデス料理のレストランLaykaへ。とうもろこしを発酵させて作ったお酒チチャ。飲み口はマッコリ(こちらは米が原料だが)に似ている。
ラパスの伝統料理である鶏肉のサフタ。黄色い唐辛子(アヒ・アマリージョ)がかかっている。辛さはほんのりピリッとするくらい。チューニョという乾燥じゃがいもを水で戻したものがつけ合わせ。切り干し大根と生の大根の違いみたいな食感の差がある。シンプルな料理でとてもおいしくいただいた。
お店のインテリアがにぎやか。
民芸品店や旅行代理店が立ち並ぶサガルナガ通り。
セントロの中心サン・フランシスコ教会と広場。大道芸人に人だかりができていた。
ボリビアは先住民族の人口が多い国(純血と混血のインディヘナを合わせて約87%)。民族衣装を着た女性がそこかしこにいた。ボリュームのあるスカートと山高帽、三つ編みのヘアスタイルが特徴。
着ぐるみが横断歩道の交通整理をしていた。
乗り合いバスのミクロ。たくさん走っており、利用する人が多く中は混んでいた。
トウモロコシや豆などの乾物屋さん。
ホテルのインテリアやアメニティも民族調だった。
11月12日
3:30起床。とんでもなく早い。4:00にホテルの朝食会場へ行ったら他にも旅行者がたくさん来ており、食事を済ませては出発して行く。ここではあたりまえのタイムスケジュールのようだ。4:30ホテル出発、街灯がすり鉢状の斜面に広がっていてきれいだった。
ラパスのエル・アルト国際空港周辺の眺め。日干しレンガ造りの建物なので色合いが土っぽい。
6:30にラパスを飛び立ち、7:15ウユニに着いた。そっけない空港のターミナル。ウユニの街は標高3660メートル、人口は約18000人である。
塩湖のツアーまで時間があり、まずは町の中心で車から降ろされた。小一時間の散策タイムである。だだっ広い空間にがらんとした小さな町が鉄道駅の周りにあった。
アルセ広場。旅行会社やホテル、レストランなどがあるがいかんせん朝早いためにぎわいはなかった。
食料品の市場。商品を準備しているところだった。
お店の子どもたち。
こぢんまりとしている。
駅前のフェロヴィアリア通り。ウユニ塩湖へ行くツアーの車が出発する。
ツアーの最初に訪れたのは列車の墓と呼ばれる場所。かつてウユニからチリのアントファガスタへ塩や鉱物を運んだ蒸気機関車や貨物の車両が放置されている。
続いてコルチャニ村の製塩所。おじさんが袋詰めしていた。
そして塩湖へ。一面が白い。とにかく明るくてまぶしいので涙が出てくる。日本人に人気なのは12~2月の雨期に見られる鏡張りの光景だが、私たちが訪れたのは乾期の白い世界。ウユニ塩湖の最高地点は3760メートルあるが、高低差がほとんどないのでどこまでも白く広がっている。塩湖の大きさは約120km×約100kmあり、面積は約12000㎢、約20億トンもの塩がある。地球上にこんな場所があるとは驚くばかり。近年は塩湖の下に世界の埋蔵量の半分にもなるリチウムが存在することもわかり、その底知れなさは一層増している。
青い空とのコントラストも強烈。
塩湖の表面は近くで見るとうす茶色で亀の甲羅のように割れている。ほんの少しだけ水たまりがあったが、空が映って青く見えた。
標高5432メートルのトゥヌパ火山。周辺にはフラミンゴがいた。
ミイラが置いてある山腹の村に立ち寄った。動物の骨を用いたオブジェ?
村の教会。塩湖と合わせてどこか浮世離れした雰囲気が漂っていた。
塩湖にある大きな島、インカ・ワシ島。大きなハシラサボテンが印象的で塩湖の白とのコントラストがユニーク。
ツアーの4WDが並ぶ。珊瑚礁の化石でできた島にはトレイルがあり、頂上までちょっとしたトレッキングが楽しめる。ひたすら広がる塩湖の眺めは圧巻。島めぐりを小一時間堪能した。
お昼ごはんはガイドさん、ドライバーさんと一緒に島の入口にあるレストランで食べた。キヌアのスープ。塩湖の周辺でもキヌアを栽培している。塩湖の近くで農業をしていることに驚いた。
お肉はリャマとチキンの2種類。
お好みでトウガラシのソースをつけて食べる。フレッシュなので意外においしい。ガイドさんは何にでもそれをつけて食べていた。みんながっさり取っていったので器に少ししか残っていない。
塩湖に穴があいているスポット。塩水が湧き出て結晶が見られる。
ウユニで人気なのはトリック写真。みんないろいろと道具を持って来て時間をかけて撮影するらしい。私たちは興味なかったのだが、ガイドさんが撮ってくれると言うので少しだけトライ。あまりにまぶしくてモニターが見づらいので撮影は難しそうだった。
夫は私のどんくささがよく表れているとこの写真がお気に入り。
もう一度トライして、今度はジャンプ成功。
塩湖の中に建つホテル、プラヤ・ブランカ。宿泊は現在基本的には禁止されており、立ち寄りスポットになっている。
ウユニでは2014年からダカール・ラリーが行われている。これはその記念碑。
この日宿泊したのは塩湖に隣接した塩のホテル、ルナ・サラダ。建材用の塩のブロックでできている。ベッドには電気毛布もセットされていた。
高級ホテルで内装も凝っていたが、いかんせん塩なのでゆったりと過ごしたくても常に落ち着かない感じがまとわりつくのであった。
レストラン。夕食はビュッフェで、あまりローカル色は強くない内容だった。
コーナーごとに違う設えがなされていて館内を歩き回るのが楽しい。
ホテルからの夕日の眺め。風が強くなったので室内から見た。
夜、星空を見にホテルの外へ出た。くっきりきれいだったが寒いのと風が強かったので、湖へ見に行くのは断念した。
塩のホテルは体験としては面白かったが、やはり立地・環境上の制約があり快適さという点ではある程度あきらめざるを得ない。シャワーの温度も時間帯によって安定していないので、私が利用したときはぬるくて寒かった。それでもウユニを何度も訪れることはないと思うので宿泊してよかったと思う。
11月13日
翌朝5:47、ホテルから見えた日の出。光が見えた瞬間から周りの色が変化していく様に見入る。「ツァラトゥストラはかく語りき」のオーケストレーションは天才だ!(オルガンから金管が重なっていく音が頭の中で鳴った)
フライト時刻が9:50から7:35に変更になってしまったため、楽しみにしていたホテルの朝食は体験できず。早朝出発客のために用意されたクラッカーなどを食べて出発した。ホテルからウユニの町へは塩の砂漠のような光景が続く。
本日も真っ青な空。
飛行機の窓から見える塩湖(塩湖の中に島があるのも見える)。あらためてその広大さに驚嘆するとともに、人間とは比べものにならない自然のスケールを感じた。
人気のウユニ塩湖を訪れてみて、どこまでも続く真っ白な世界が圧倒的である体験はとてもインパクトがあったが、一方、ひたすら白いために裏を返せば単調という印象も持った。ここまで来る道程の大変さを考えると、もしウユニだけが目的だったら見合わないのではないかというのが正直なところだ。鏡張りの季節だったらまた違う感想だったかもしれない。
今回のプロジェクトでいくつもの大自然を訪れたが、やはり天候など自分ではコントロールできない要素が大きく影響するということを感じた。写真で見たとおりの光景を期待するのではないところにわざわざ出かける醍醐味があるのではないか。
今日はラパス滞在の1日。茶色い街並みが見えてきた。
到着後早速街歩きに出た。若い人たちは伝統衣装姿ではなく、中南米の他の国と変わらない見た目。印象的だったのは、若い女性が学術本らしきものを持って歩いていた姿。やはり教育なんだな、みんな必死で勉強しているのだと思った。
メインストリートの7月16日(1809年のこの日にスペインから独立するための革命が起きた)通りには、一昨日横断歩道の交通整理をしていた着ぐるみが集団でいた。テレビの取材を受けている様子。
中は女子学生で私たちに一生懸命いろいろ説明して、スペイン語の挨拶を教えてくれた。かわいい。先方はスペイン語、こちらは英語だったがなんだか盛り上がった。
そのまま緑のゾーンでなごんでいたら、お金を要求する(?)杖をついたおじさんが現れた。無視したらついて来たので、走ったら追っかけて来た(杖はダミーだったのだ!)なんと200メートルくらい追っかけっこが続いた。途中ホテルのロビーに逃げたつもりが、中に入ったらがらんとした廃墟だったりしてビビッた。こんな体験は初めて。私は結構怖かったが、一生(夫)は楽しかったらしい。メインストリートの周辺には警察官が配されているようだったが、逃げているときには遭遇しなかった。
お昼ごはんは、日本人バックパッカー御用達の有名日本食レストラン「けんちゃん」へ。日本人会館にある。
在留邦人や日系人が多く利用している。
かつ丼。日本で食べるのと変わらない。
トゥルチャ(ます)のちらし寿司。ティティカカ湖で獲れる。身が厚くておいしかった。
アルゼンチン系の学校。ちょうど下校時間でお迎えの保護者がたくさんいた。
南米の街の中心部には苦難の歴史を伝えるモニュメントを多く目にする。
街角の雑貨屋。実にこまごまとしている。
午後は市内観光へ。当初市内を巡行するバスに乗って軽く周ろうと考えていたが、ホテルのツアー・カウンターのお姉さんにプライベート・ツアーを強く勧められ、お願いすることにした。ラパスの街に特段の興味もなかったのだが、ガイドさんが大当たりで大変有意義なツアーになった。
まずはロドリゲス市場へ。商品毎にお店が集積している。労働者の人々がお祈りに使うお供えのキャンディー。
こちらもお供えのセット。生活の中でお祈りは重要な位置を占める。
家が欲しい、仕事で成功したいなど、願いごとによってお供えが異なる。
食料品のお店にはたくさんの種類の果物があり、全部国産品であるとのこと。スーパーマーケットより市場の方が価格が安く、毎日買物に来るそう。
すり鉢状の急な勾配を上がって行く。ラパスの街は所得によって住む場所がはっきり分かれている。低地は資源ビジネスのオーナーなどからなる富裕層、真ん中が専門職や大企業のサラリーマンで中産階級、そして高地が労働者。だから上に行くほど生活感に溢れていて景観が全く異なる。そして街はどんどん上に向かって拡大している。斜面を上り下りする暮らしはハードだが、坂の上で暮らす人々を支えるインフラとしてラパス市内と郊外を結ぶロープウェイ(ミ・テレフェリコ)が2014年5月~11月にかけて開業した。3路線あって全長は約10km。運賃は日本円にして50円程度(3ボリビアーノ)、ボリビアの平均月収は7万円程度のようだが、日常的に利用できる値段だろう。私たちが乗った黄線は3.9kmと長く、街を見渡せて楽しめた。
街を囲む山が高いのが特徴だ。
低地に降りて来た。
富裕層が住む地区では、いわゆるゲーティッド・コミュニティ(ゲートや塀を設けるなどして住民以外の敷地内への出入りを制限する区域)をいくつも目にした。住む場所というものがこの国の厳然とした現実を示しているように感じた。
真新しい駅。一部工事が続いていた。
ツアーはラパス近郊の月の谷へ。岩が柔らかいために自然によって形作られ、切り立った岩が一帯に月面のように広がっている。不思議な光景だ。
学校の生徒がたくさん来ていた。
セントロに戻ってムリリョ広場へ。広場に面して政府の重要な建物が並んでいる。まずカテドラル。
2009年に憲法改正が行われ、ローマ・カトリックは国教ではなくなったが、長く国教であった歴史を感じさせる教会であった。
大統領官邸。
衛兵は記念写真に応じてくれる。
ムリリョ広場のプレート。ペドロ・ドミンゴ・ムリリョはボリビア独立の先駆者である。
ラパスから伸びる道の起点がある。
国会議事堂。
ムリリョ広場には鳩が多い。
それもギョッとするくらい。ガイドさんも衛生上も問題になっていると言っていた。
スペイン植民地時代の様式の建物が並ぶハエン通り。博物館となって開放されている建物が多い。
楽器博物館を訪れた。様々な民族楽器が展示されて楽しい。
星型のチャランゴ(ギターのような弦楽器)。演奏するところを見てみたかった。
日本人が寄贈した琴が展示されていたのがうれしかった。琴柱を置いたままだと弦が伸びきってびよーんとした低音しか出なさそうだが。
祭りの様子を人形で展示していた。ボリビアの祭りは特色ありそう。次に来る機会があったら、ぜひ祭りの時期に来たい。
ボリビアという国ついて、そういえば鉱物資源が採れるということを中学の社会科の授業で習ったような気がする、、、という程度の知識しかなく、最初はウユニからリマへ移動するためにはフライトの接続上ラパスに1泊せざるを得ないという理由で訪れたに過ぎなかった。しかしながら街を囲む山々の景観はダイナミックであり、すり鉢状の独特の地形に人々が暮らしている様は非常に興味深く、また、インディヘナの民族色が濃く残っていること、さらには、資源国というのはビジネス・オーナーとそれ以外の人々の経済格差がとんでもなく広がるのだということなど、見るもの見るものが目から鱗の連続であった。ガイドさんが少しでも多くボリビアのことを知ってもらおうと丁寧に説明してくれたことも良かった。
街の旅行会社に貼ってあったポスターを見ると、トレッキングや自転車での旅など、ものすごくダイナミックでアドベンチャラスな体験がたくさんできそうであった。私も含め、日本人がウユニだけではないボリビアの魅力をもっと知る日が来ることを願う。
(2014.11.11~11.14)
続いて、リマ編へ