成長している都市のエネルギーを感じたい~インドネシア:ジャカルタ編

9月17日

バンコクを後に、一路ジャカルタへ。初めての訪問。2012年の秋にサンフランシスコ交響楽団の上海公演を聴きに行ったとき、浦東のシャングリ・ラ ホテルでインドネシアへの投資をアピールするプロモーション映像が流れていた。そこで見た発展するジャカルタの様子や若年層が厚い(人口ボーナス期にある)点が強く印象に残っており、ぜひ訪れてみたかったのだ。

東南アジアのLCCを初体験。
LCC

エア・アジアを初めて利用したのだが、「Now Everyone Can Fly」のキャッチフレーズが素晴らしい。アジアには今やとてつもないボリュームの中間層が生まれていて、かつては想像もできなかったような人々が気軽に飛行機で移動する時代。空港で行き交う人々を見ていると、時代が変わったことを痛感する。そしてLCCの存在がそれを可能にし、加速させたのだ。ゲートを見てゆくと、昔からの伝統ある航空会社の便に比べ、LCCの便を待つ人の多さは際立っていた。

こうした光景を目のあたりにし、希望あふれる気分になっていたのだが、エア・アジアの機内は結構ハードだった。にぎやかな(うるさい)人とか、後ろの席の子どもが前の座席を蹴ってきたりとか。私は機内食がほとほと嫌いなのだが、別料金であらかじめ注文しておかなければならない機内食を買っている人が何人もいたことにも驚いた。もしかしたら私が子どもの頃、信越線に乗ると横川の駅で「峠の釜めし」を買って食べるのが何よりもうれしかったのと似たような感覚なのかもしれない。そう考えると、何だか感慨深い。

スカルノ・ハッタ国際空港からタクシーに乗ったのだが、途中巨大なショッピング・モールと高層マンションが林立しているのが見える。人口950万人を超えるジャカルタはスケールが大きい。そして地下鉄などの公共交通機関がまだ発達していないこともあって、車の渋滞が超すごい。

早速、散策へ出かける。あらゆるもののスケールが大きくて完全におのぼりさん状態。
モール

タムリン地区の目抜き通りにあるプラザ・インドネシアの高級スーパー。普通に高級っぽい。
スーパー

フード・フロアには日本の飲食業がそれはそれは多数出店しており、外食もデリもスイーツも、日本のものはそれこそ何でもある。海外進出の裾野が広がっていることを実感した。

高級ブランド店は、気おくれするほど一店舗あたりの面積が大きい。主なブランドは全部ある印象。
ブランド

でも通りをちょっと歩けば、昔ながらの屋台があり、一般の人々の普段の生活はこちらなのだということを感じた。
屋台

9月18日

午前中オランダ植民地時代の建物が残るコタ地区へ。9時頃ホテル(イビス ジャカルタ アルカディア)を出発したが、既に街の喧騒と渋滞はすごかった。

バタビア時代に栄えたスンダ・クラバ港。古い船が並んでいてよくわからない雰囲気。
港

パサール・イカン(魚市場)。廃墟みたいな市場。見張り塔も観光スポットという感じはなかった。
市場

ブサール川の跳ね橋。
跳ね橋

バタビアの中心地であったファタヒラ広場。ジャカルタ歴史博物館。1627年に市庁舎として建てられたもので、2階にはオランダ総督が使った木彫りの装飾が見事な家具の展示がある。修学旅行生でにぎわっていた。
博物館

暑い中歩いたので、カフェ・バタビアで一休み。とても趣のあるインテリア。ミャンマー以来すっかり味をしめ、バカの一つ覚えのようにすいかジュースをオーダー。
カフェ

近くの公園でランチの後休憩する修学旅行生たち。数人の子がAKBみたいなダンスをするのをみんなが見ていた。
生徒

コタ地区から歩いてグロドッ地区(チャイナタウン)へ。排気ガスで空気がよくないのと暑いのとで結構ハード。

こまごまとした電化製品や部品を売っているビルなど、中華街独特の雰囲気。野菜や果物、魚の市場はにぎわっていた。

中国寺院(金徳院)のお線香は未だ体験したことのないレベルで大量。目にしみて目をあけていられなかった。
寺院

非常に暑かったので、セブンイレブンで買ったポカリスエットに救われた。14時すぎにタクシーでホテルに戻ったが、このときも大渋滞に遭う。専用レーンを走るトランスジャカルタのバスが一番確実な移動手段と見受けられた。

ホテルで休んで夕方お出かけ。この日の夕食は「牛角」へ行ってみた。価格は日本の同チェーンのお店と大きく変わらない印象。
焼肉

お肉やサラダはおいしかったが、ビビンパッを注文したら、ごはんの底が黒こげだった。私はまだ日本で石焼の器が一般的に売られていない20年以上前にソウルから石器を抱えて帰ってきて以来、おいしいビビンパッを研究してきたものだから残念だった。

大規模なグランド・インドネシア・モール。海外旅行のプロモーション・イベントをしていた。日本の行き先は東京ディズニー・リゾート、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン、サンリオ・ピューロランド、、、何故かテーマパークばかり。韓国ツアーのポスター写真はなんと、ナミソムの並木道だった!「冬のソナタ」から10年以上も経っているのに、インドネシアでの韓国の象徴があの並木道だとはびっくり。
モール

モールにある足裏マッサージのお店を体験した。施術の技術はイマイチで何ちゃってリフレクソロジーだった。

ジャカルタの街に来て思ったことは、開発された豊かな部分とそれ以外、とてつもない富裕層と一般とのギャップが大きいということ。そして街を走る車がどれも新しく大きくてきれいであるということ。日本では軽自動車などの小型車やエコカーばかり目につくのとは対照的である。

とにかくとてつもないボリュームの人々が豊かな消費社会へと向かっており、世界中の企業がそこに商機を見出して突っ込んで来ていることを痛烈に感じた。結局のところ、企業というのは大量消費の物質社会でしか利益を上げられないのだろうか?単に成熟した社会ではもう儲けられないから場所的に移動しただけだとすると、何か進歩がないように感じる。こう思うのは、7~8月に訪れた北欧などのヨーロッパの国々が超成熟社会で、人々の暮らしぶりも観たオペラの演出もポスト物質社会の価値観に満ちていたからかもしれない。インドネシアはかつての高度経済成長期の日本のように見えたが、日本の大量消費社会が行きつくところまで膨張した先にあったのは、資本主義が破綻に向かって行く姿だった。インドネシアも同じ道を辿るのだろうかと思うと、単純に「ここにはチャンスがいっぱいある!」と喜べないような気分だった。

(2014.9.17~9.19)

続いて、ジョグジャカルタ編