南米でオペラとオーケストラを体験~ブラジル サン・パウロ編~
10月29日
地球探検プロジェクトはいよいよ初めて足を踏み入れる南米へ。最初に訪れたのはブラジル。サン・パウロでオペラとオーケストラを体験することから始まった。
「南米ってコワそう」という長年の先入観を抱きつつ恐る恐るやって来た訳だが、深夜にリスボンを発ち、翌朝着いた(TP87便)サン・パウロのグアルーリョス国際空港でいきなり洗礼を浴びた。ATMで手持ちのクレジットカードが使えない。違うフロアのATMを探してトライしても手持ちの他のカードで試してもダメ。現地通貨が必要であったため、仕方なく空港内の銀行で日本円の現金を両替したところ、1万円が5千円くらいの価値にしかならないレートで交換された挙句に22%も手数料を差し引かれてしまった(米ドルならもっとレートがまともだったのだろうが、南米各地で同様のケースが生じた場合に備え、できるだけ米ドルキャッシュを残しておきたかったのだ)。これにはかなりへこみ、これからどうなるのだろうかと不安が募った(最終的には、街中のCITIでVISAのクレジットカードが使えた)。
気を取り直して街へ移動。へプリカ広場から近い場所にあるイビスバジェットホテル(イビスよりさらにエコノミー)へチェックインした後、サン・パウロ市立劇場にオペラのチケットを買いに行った。ウェブサイトは見てもよくわからず、事前にウェブでチケットが買えなかったのだ。
朝10時すぎのボックスオフィスには長蛇の列ができていた。今までに経験したことのないパターンである。列はなかなか進まない。並んでいるのは一般的にオペラに来る客層よりも庶民っぽい人々で、何かチケットを安く買える仕組みがあり、それを利用するために並んでいるようであった。他に方法がないのでひたすら列に並ぶこと2時間半。やっと順番が回ってくるも、今日公演がある「カヴァレリア・ルスティカーナ/道化師」は完売だとにべもなかった。
堂々たるサン・パウロ市立劇場。
ショックであったがどうすることもできない。おなかがすいていたけれど、レストランのあてもなかったので、空港からのバスに乗っていたとき見えた「すき家」に入って牛どんを食べた。両替とオペラ・チケットの件でかなり落ち込んでいた中、おなじみの牛どんの味にどれほど慰められたことか。「すき家」ありがとう。
夕方、今度はサン・パウロ交響楽団のチケットを買いにサラ・サン・パウロ(コンサートホール)へ。一見してコンサートホールとはわからない外観。
チケットのオフィスがもう閉まっていたため警備員のおじさんと話したのだが、英語通じず。先方の言っていることがわからなくて閉口した。結局こちらもチケットは買えず。
夕ごはんはガイドブックに載っていた庶民的なお肉料理のお店をのぞいたのだがイマイチ入る気になれなかったので、またもや「すき家」に行った。
牛どんの味は日本と変わらない。紅しょうがはこちらではあまり需要がないみたいで取り放題ではなく、お願いすると小皿に盛って出してくれる。チーズのトッピングがメジャーなようであった。
食後、公演直前だとチケットが買えるかもしれないと思い直し、再度サン・パウロ市立劇場へ。ボックスオフィスに行ったら、一番舞台寄りのボックスの2席が買えた!
早速劇場へ入り、期待を胸に彫刻が並ぶホワイエの階段を上る。
伝統的な劇場のつくり。
舞台に近かったので、声の圧力も表情も感じられたし、観客の様子も見られた。
プロダクションは写実的な演出で、声のストレートな魅力が大きい。合唱もうまかった。とにかくソリストはみんな強靭な声で、感情にダイレクトに訴えてくる。その直球度合いが他の地域で上演されているオペラの比ではないのだ。
欧米のオペラは抽象的な表現にとどめ、観る人それぞれによって違う受け取り方ができる演出が多い。これに対しサン・パウロでは白黒がはっきりしているのだ。例えば、「カヴァレリア・ルスティカーナ」は冒頭の前奏曲で、ローラとトゥリッドゥが性交しているところから始まる。最後のシーンも一般的には「トゥリッドゥが殺された!」という悲鳴が聞こえて終わるが、トゥリッドゥの死体が運び込まれてきて観客に死を見せるのだ。「道化師」も最後カニオがネッダを刺してしまい、村人は騒ぎになるが、一般的にはカニオの「芝居はこれでおしまいです」というセリフで幕となるところ、成行きに腹を立てた村人たちがカニオをボコボコに殴って死なせてしまうという幕切れなのだ。このストレートな演出にはたまげた。
この他に印象的だったのは、「道化師」にリオのカーニバルみたいなサーカスが登場したこと。ラテンのノリで楽しめた。
サン・パウロのオペラはプロダクションだけでなく、観客も特筆すべきであった。着飾っている人がいないわけではないが、基本的にラフ。TシャツにGパン、スニーカーという人があたりまえにいるので全く気おくれしない。そして公演に対する反応もストレート。一生はオペラを観ているときのお客さんの顔を見て、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」に登場する映写機で投影される映画に見入っている人々の顔と同じだと感じたそうだ。そんなにキャパシティが大きくない劇場なので舞台と客席が近い。社交の場としてやって来たお金持ちが途中で飽きてしまっているというような場ではなく、庶民がやって来て舞台上で繰り広げられる一挙手一投足に手に汗握っている場なのだ。ここでオペラがこんなに生き生きと根づいているとは!知らないということは恐ろしい。
朝劇場のボックスオフィスで完売だと言われたときはもうダメかと思ったが、サン・パウロでオペラを観ることができて本当に良かった。終演時間は11:30。ホテルへの徒歩での帰り道はそんなに怖くなかったが、路上で寝ている人が頻繁に目に入った。
10月30日
この日はサン・パウロ交響楽団のコンサートがお目当ての一日。指揮は日本でも支持が高いスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、ソリストは諏訪内晶子。曲目もベルクのヴァイオリン協奏曲とブルックナーの交響曲第4番と大いに楽しみな内容である。
サン・パウロ交響楽団と言えば、私はフルート奏者のシャロン・ベザリーと共演したジョン・ネシュリング指揮のCDを思い出すが、2013年からはマリン・オールソップが音楽監督に就いており、彼女とのCDが何枚も出ている。1954年にサン・パウロ州立のオーケストラとして活動を始めて以来、歴史を積み重ねてきたオーケストラである。
午前中はオープン・リハーサルがあった。ホールの建物に入り、オーディトリウムを目指して歩いていたら、ガラス越しにスクロヴァチェフスキが歩いているのが見えた。御年91歳。元気そうだが、数年前に日本で聴きに行ったときより、さすがに足腰が弱くなっているように見えた。
リハーサルはベルクから。諏訪内はいつものようにテクニック的には完璧。日本人アーティストが海外で活躍している姿を見るのはうれしい。諏訪内と言えば、オーケストラ・アンサンブル金沢の取材をしていたとき、彼女がソリストでやって来た。石川県立音楽堂でのリハーサルのとき、休憩時間に彼女がひとりで弾いていたのだが、ストラディヴァリウス「ドルフィン」の木の空間に響いた音が驚異的に素晴らしく、最高の楽器であることを実感したのをよく覚えている(そのとき楽団の設立25周年パーティがあったのだが、片時も楽器を手放さずに楽器ケースを手に持って参加していた彼女の姿も印象に残っている)。
スクロヴァチェフスキはこのオーケストラのブルックナーに対してさすがに思うところがたくさんある様子で、結構止めた。数少ないリズミックな部分や3連符のひたひたとした表現など。オーケストラは明るい音で馬力はあるが、細かいところをきっちり詰めるのは苦手。ブルックナーは禁欲的な美や伽藍のように積み上げた構築的な響きが特徴だと思うが、そういうこととは別世界の前のめりなブルックナーで楽しい。スクロヴァチェフスキはその部分に関して直させようとはせず、そのまま鳴らす。彼がどう考えているのか聞いてみたいと思った。それぞれの土地にそれぞれのブルックナーがあると思って、世界のあちこちで振っているのかもしれない。彼は終始立ってリハーサルを行っていた。その姿へは尊敬あるのみ。
オープン・リハーサルを聴きに来ているのは一般の人は少なく、音楽を勉強している学生がほとんどである印象を受けた。スコアを手にし先生に引率されていたから。
リハーサルは13時ごろ終了した。
ホール内のカフェテリア。おしゃれで利用者も多い。
モルンビへ移動。駅で反対方向の列車に乗ってしまった。
電車の窓から見えたヒョウのパブリックアート。
大規模なモルンビ・ショッピング・センターの中にあるシュハスコ「Barbacoa(バルバッコア)」でランチ。日本にもお店がある有名店。
サラダバーは素材が新鮮で丁寧に作られており、とても質が高かった。
お肉はPicanha(ピッカーニャ、モモ肉)。噛みごたえのある味。
お肉には玉ねぎの薬味を添える。とてもよく合う。
ブラジルでポン・デ・ケイジョ(手前の白いチーズパン)を食べるのが夢だったのだ。あたたかくてモチモチ。
モルンビには新しいオフィスビルが並ぶ。
電車に乗るためのエスカレーター。ものすごい人!!
ブラジルを代表する企業のオフィスがあるパウリスタ大通り。大道芸人がいた。日比谷~新橋のオフィス街みたいな雰囲気。
公衆電話のボックスが今も結構あり、利用する人も見かけた。
地下鉄の改札を入るにも行列に並ばなければならない。
リベルダージ地区へ移動し、東洋人街。サン・パウロと大阪が姉妹都市であることから大阪橋と命名された橋。
信号機も鳥居のデザイン。
スーパーの品揃えは中国のものの方が多い。
サン・パウロの象徴の一つであるカテドラル・メトロポリターナは迫力がある。中には入れなかったが、8000人も収容できるそう。周辺は広場になっており、人々でにぎわう。
夜は再びサラ・サン・パウロでサン・パウロ交響楽団のコンサート。無事チケットも買えた。
公演前にカフェでお茶したとき、「アイスコーヒー」と注文したらエスプレッソと氷が出て来た。一生は絶対にそう出てくると思ったそうで、思いきり笑われたが、氷の入ったグラスにエスプレッソを注ぎ、最終的にはアイスコーヒーになった。
コンサートはリハーサルよりも思いきった演奏だった。諏訪内は実力どおりのアウトプットだったが、曲の最後で何故かオーケストラがおっかなびっくりのピアニッシモになって崩れてしまい、それに引きずられるように最後の音がイマイチ決まらなかったのが残念であった。アンコールのバッハの無伴奏曲は良かった。
ブルックナーは基本リハーサルのとおりであったが、さらに思いきって前のめりに弾いていた。リハーサルのときに技術的な理由によってできなかった部分は本番でもできない(これまで他のオーケストラで見て来たのと同様)。フィナーレのスクロヴァチェフスキがこだわっていた、一本線で積み上げていく表現も実現しなかったが、演奏全体としては楽しめた。
演奏後、(定年?)退職するホルンの団員のセレモニーがあった。楽団の代表者から花束贈呈とホールに飾るポートレート写真(日本の感覚ではどう見ても遺影?という趣の写真だったが)の紹介があり、本人がスピーチした。花束贈呈はよく見るが、本人のスピーチがあるところが良かった。大拍手が巻き起こり、このオーケストラが市民に大事にされていることが伝わってきて感動的だった。譜面台の後ろにちょこんと座っているじいさんがスクロヴァ。
サラ・サン・パウロは素晴らしいホールだった。外観は古い建物のようなのに中はモダン。1938年に建てられた駅舎をリノベーションして1999年にコンサートホールとしてオープンした建物なのだ。したがって建物は今も使われている駅舎とつながっており、ホワイエからはガラス張りの向こうに駅が見えてとてもモダン。オーディトリウムの内装も木と柱、白と黒の色調がおしゃれである。カフェやレストランも本格的でたくさんの人が利用していた。
昨日ホールの建物の前にプレートがあり、「世界最高のホールの一つ」と書いてあるのを見て、「またまた~」「こう書いてあるホールを過去いくつ見たことか」と思ったが、本当だった。ただし、オーディトリウム内で外の物音が聴こえる。許容範囲ではあるが。
翌朝、サン・パウロから飛び立った飛行機の窓から見えた光景。ものすごく広大な範囲にわたり、にょきにょきと高層ビルが建っている。都市圏人口2000万人のメガ・シティである。
サン・パウロは車の渋滞と何かしようとする度に行列に並ばなければならないのが特徴であった。人が密集しているということだろう。
(2014.10.29~10.31)
続いて、リオデジャネイロ編へ