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MTTの挑戦その2:ジャーマン・プログラム
ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団のルツェルン音楽祭2010の2日目。オール・ジャーマン・プログラムです(9/12)。
さまよえるオランダ人序曲、ベルクのヴァイオリン協奏曲、運命、アンコールにロザムンデからという選曲でしたが、彼らの“今”と“魅力”を伝えるという点で非常に考えられた効果的なプログラミングであったと思います。
演奏は、リスク・テーキングというよりも横綱相撲。正面突破で堂々と弾き切っていました。
さまよえるオランダ人序曲
1曲目、ワーグナーのさまよえるオランダ人序曲。あらゆる音と表現にこだわり、緩急に変化をつけ、自由自在に表現するという彼らの定石どおりの演奏で、MTT言うところの
pay attention
効果十分だったと思います。これを聴いただけで、普通のオーケストラ・コンサートとは何かが違うと感じさせたはず。
ベルクのヴァイオリン協奏曲
2曲目は、クリスチャン・テツラフをソリストにベルクのヴァイオリン協奏曲。
非常に暖かみのある、人に寄り添うような演奏だったと思います。
この曲は普通に演奏すると、難解で12音が無機的に聴こえがちだと思うので、こう聴こえたということは、ものすごくハイレベルだったことを意味するのではないでしょうか。
現在ティルソン・トーマスが掘り下げている分野の一つが協奏曲ですが、今回も他の曲におけるアプローチと基本的に同じ。ソリストに自由に弾かせるスペースをつくった上で、オーケストラとソロの
バランスや楽器の組み合わせの表現で聴かせるというもの。
テツラフは、とても繊細かつ多彩な表現でした。3月のカーネギー・ホールでのチャイコフスキーは音程やパッセージの怪しいところがありましたが、今回はそういう危なげは全くなし。オーケストラとともに今回の目指すベルク像にフルコミットメントでした。
サンフランシスコ交響楽団はベルクをフェスティバルでも取り上げて取り組んできましたが、その成果が大いにあったと思います。
テツラフはアンコールにバッハの無伴奏(曲名わからず)を演奏。
ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」
コンサートの後半は、ベートーヴェンの運命。
昨年12月のサンフランシスコでの演奏をKDFCで聴いた私は、過激なことはやっていなかったように感じましたが、ラジオを聴いていない夫は、「いろいろやっていたと思う」と申しております。
流れがよくて、基本的に爽快なので、曲があっという間に感じられました。
演奏は、どの曲でも言うこと同じになってしまうのですが、まず音楽の全体の造形・構築がきっちりなされていること。その上で、ハーモニーのバランス、メロディーの表現と伴奏の組み合わせ、楽器の違いによる音色のブレンド具合や変化、リズムの面白さなどを浮かび上がらせて聴かせるというもの。
2楽章の静かな部分での音が溶け合うような表現、3楽章の低弦、4楽章の緩急含めた造形などが特に印象に残りました。
本当にもう一度聴いて細部を検証したいです。いつも彼らのコンサートに行くと、曲が終わりに近づくにつれ、終わらないでほしいと思う。
シューベルトのロザムンデから
アンコールは、シューベルトのロザムンデから。おなじみのメロディーよりも中間部があったりで長かったのですが、正式な曲名はよく聞き取れませんでした。
アンコールにシューベルトの抒情的な曲を選んだのは、ハーモニーやメロディーといった基本中の超基本にも新たな光をあてることが、MTTの主眼の一つだから。
そしてそれはサンフランシスコ交響楽団がここずっと取り組んできたことでもあります。
そういう訳で、ものすごく磨かれた表現でした。ハーモニーのバランスやカラー、フレーズのニュアンスづけ・歌い方などアンサンブルを極限まで追求しており、ある意味プログラムの本編よりも主張
が詰まっていたと思います。
私は彼らのウォッチャーだから、いつもどんな演奏をどういうつもりでやっているかを知っているけれど、ルツェルンのお客さんはそういう前提がないだろうから、いきなり演奏を聴いて、どう聴こえ
どう感じるのか?ずいぶんびっくりなのではないでしょうか。
おまけ
今日の席は平土間14列目のセンター。チケット買うときにこのあたりが良さそうと思って買ったのですが、夫の隣にMTTのパートナーのジョシュア・ロビンソンが座った。
見れば、サンフランシスコ交響楽団の関係者がずらっと続いていました。という訳で、私が座った列はそこだけ異様に応援モード。
彼らは一体何人でやって来たのかというくらい御一行様。ヨーロッパのオーケストラはツアーに応援隊がやって来たりしないけれど、これぞアメオケ・ワールドなのでした。
(2010.9.13)