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MTTが再現部の Veni の「ヴェー」をのばしている件
ティルソン・トーマスは、マーラー交響曲第8番「千人の交響曲」第一部において、再現部に入った Veni, veni creator spiritus の2つ目の veni の「ヴェー」をのばして演奏しています。ここを聴いたとき、「何だこれ?」と思われた方は多いのではないでしょうか。私も思いました。
この部分については、ティルソン・トーマスの本「Viva Voce」で、本人が自分の考えをしゃべっておりますので、ご紹介します。
以下、本からの引用です
MTT: 第一部の中で興味深く指摘したいのは、再現部です。そこでは幾重にも重なった音が川がうねるように、大きなヘンデルのコラールのようになり、巨大なサイズにふくれ上がって前へなだれ込み、そして Veni, veni creator spiritus と繰り返される。ここで私が今まで聴いたどの指揮者も大きなラレンタンドをします。
ES: テンシュテット、バーンスタイン、、、、私はあなたが何を言おうとしているかわかります。「ラレンタンドとは書いていない」
MTT: ええ。でも多分もっと好奇心をそそるのは、「リテヌートしないこと」とも書いてないことです。指揮者に対して、「どんなときも必ずこうするように」とか「どんなときも必ずこうしないこと」というように、よく注意書きをするのがマーラーの性質でした。そうであれば、ここは彼にとっては「速度を落とさない」というのが全く論理的であったはずです。しかし彼はそう言っていない。何も言っていない。非常に困惑させます。
ES: 私はこの作品についてたくさんのレビューを書いてきましたが、いつもこの巨大な瞬間に打ちのめされてきたので、あなたがここを指摘したことは面白いですね。私はここは大きなラレンタンドが必要だと思いますが。
MTT: 私はそうは思いません。
ES: あなたがやっているところを見たかったなあ。
MTT: 私がどうやると思いますか?私はきっちりインテンポのまま Veni に入り、2回目の Veni で長く持続させます、大きなフェルマータです。私はこの方が好きです。なぜなら、この方がクライマックスに一直線に続いていく重要な一撃の完全な効果を上げることができるからです。誰もがたっぷり息を吸ってから、高い音にいける。頂点でのフェルマータ、テヌートするのが賢明な場所なのです。
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Michael Tilson Thomas
Viva Voce
Conversations with Edward Seckerson
Faber and Faber Limited, 1994
172ページより翻訳
訳中のESは Seckerson氏のこと。
以上、本人の言い分を聞くと、それも説得力があるような気がしてきます。
MTTにはいちいち理由があるらしいので、マーラー解釈についてのQ&A大会でもやれば、世界中からオタクが集まって来て壮観なのではないかと思う。
音楽用語の注
ラレンタンド(rallentando):次第に遅く
リテヌート(ritenuto):音を少し長めに
テヌート(tenuto):その音の長さを十分に保って
フェルマータ(fermata):音の時間を延長させる
(2009.8.23)