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MTTがオーケストラ・コンサートで即興性を本気で追求している件

8/25(日本時間)のKDFCでは、ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団で、エマニュエル・アックスのピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番が放送されましたが、私は放送を聴き、心底ぶったまげ!でした。

なぜなら、第1楽章のピアノのカデンツァ以降、ソリストもオーケストラもほとんど即興演奏のノリで、まるでジャズのセッションでアドリブが次々と展開されて、次は何が起きるのかハラハラドキドキ、という演奏だったから。

今年の1月にモーツァルトのピアノ協奏曲第23番を聴きに行ったときも、非常に即興性が高かったけれど、そのときはMTTの弾き振りで「トーマスだから」という感があったのですが、今回はソリストとのコラボレーション。

アックスとトーマスの仕掛けぶりがイーブンだったことにより、効果倍増に感じました。即興をコラボでできるなんて、オーケストラ・コンサートでこんなことが起きるなんて、本当にすごい。

そして、ティルソン・トーマスは本気でオーケストラ・コンサートで即興性を追求しているのだと思いました。

まずはカデンツァがあって、即興性やソリストとのやりとりで面白みを出せる協奏曲の分野が取り組みやすいのでしょうが、MTTがいつも共演しているメンバーの顔ぶれを想起してみるに、これについて行ける人が20人はいると思う。

振り返ってみると、ここ20年くらいのクラシック音楽の世界では、古楽の分野がものすごく発展しました。これは装飾音符やバリエーションのつけ方などの表現方法の研究、奏法の研究、曲の発掘、楽器の研究などの成果ですが、なぜ古楽の分野が多くの人を惹きつけたかというと、新鮮な響きや即興によるその場一回限りの体験の面白さなのだと思います。

このライブ一回性の「消えてなくなる」その場でしか体験できないものを、MTTは古楽よりずっと規模も大きく、曲も複雑なオーケストラ・コンサートでやろうとしているのでしょう。

20世紀は録音技術が発達した時代で、クラシック音楽もレコード産業が全盛でした。でも録音技術を使ってできるほとんどのことはやり尽くされた。

オーケストラ・コンサートにおいても、感想が「上手だ」と「感動した」に収れんする演奏の方向性は、もうこれ以上ないところまで来た。

そして21世紀になりこれらが臨界点を超えたところで、録音技術がなかった頃のように、またライブの時代がやって来たのだと思います。

しかもそれは、録音のような“完璧さ”を求めるのでも楽譜と見比べるのでもなく、そこでしか味わえないスリリングでスーパーなライブ。

時代は前に進んでいるのだ。

(2010.8.26)

【放送されたプログラム】
シューベルト(ウェーベルン編曲):ドイツ舞曲
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(エマニュエル・アックス、ピアノ)
ウェーベルン:交響曲
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
(2009年12月のコンサート)

ウィーン楽派のプログラミングにも注目。
「運命」もあまりにチャレンジングで涙がちょちょ切れる演奏でした。

【追記】
アックスとのこのコラボはSFSMediaで録音していたとの由。したがって、消えてなくなりません。
21世紀のスーパーなライブは記録にも残るハイブリッドらしい。

(2010.9.1)