「芸術の売り方」
ジョアン・シェフ・バーンスタイン著 英治出版 2007年
原題は「ARTS MARKETING INSIGHTS The Dynamics of Building and Retaining Performing Arts Audiences」。 著者が最も言いたいことは、洞察こそが、パフォーミングアーツの観客を構築・維持する力であるということ。つまり、
オペラやオーケストラの集客について悲観的な見方をする人は多いけれど、お客さんをちゃんと見て(=洞察して)いますか?もっとやれることはありますよ!
というメッセージなのです。
具体的には、顧客をよく知り、コミュニケーションし、顧客が経験するすべて(その団体や公演を知るところから始まり、チケットを買い、公演を体験し、さらに顧客として継続していくプロセス全部)に対して最高の価値を提供すべしと言っています。
内容は、現状分析から始まり、計画立案、値付け、市場調査、インターネットの活用、ブランド、ロイヤルティなど、様々なマーケティングの手法について、著者のコンサルタントとしての経験や多くの事例をもとに、芸術団体に即した形でわかりやすく語っています。
私がこの本からなるほどと思ったこと、サンフランシスコ交響楽団に関連して感じたことをご紹介します。
「チケットを購入する人」と「公演を観にくる人」は同じではない
「お客」って誰をさす?この2つを分けて考えろという指摘には、なるほどそうだと感心しました。
観客は芸術団体とその上演場所を一体と見ている
これもそのとおり。したがって、「さまざまなホールで上演する楽団や、さまざまな公演者を招致する劇場は、強いブランドアイデンティティを築いたり、その組織自体の忠実な支持者を獲得したりするのは難しい」そう。
サンフランシスコ交響楽団は、ロゴがすでにデイビスホールのデザインで、あのホールとシンフォニーは一体です。さらに言うと、ホール+シンフォニーにMTTももれなくついてくる。海外でも、デイビスホールのロゴが入った野球帽をかぶって街歩きをしているティルソン・トーマス。見上げた根性です。
「さまざまなホールで上演する楽団」と「さまざまな公演者を招致する劇場」という指摘、日本ではこれがほとんどなのが残念です。
劇場が大入りであることは、観客や上演する人たちの経験の質に計り知れない影響を与える
したがって、お客が少ない場合には階上席を閉鎖してでも満員の演出をしろと言っています。この満員の会場の雰囲気というのは、サンフランシスコ交響楽団が最もこだわっていることの一つ。彼らの公演は満員だし、お客さんはびっくりするくらい応援モード。
マーラーのCDがグラミー賞を受賞したとき、ホールに「お客さんの応援あっての演奏だから、お客さんと一緒に受賞したものです」と掲示がなされましたが、これは彼らの場合社交辞令ではなく、本当にそうなのです。
芸術団体は競合するより連携を
観客はさまざまな舞台芸術を体験した方が満足度が高いそうです。今年プロムスでサンフランシスコ交響楽団のメンバーが話をしたときに、このことを語っていました。
彼らはサンフランシスコ・オペラ、サンフランシスコ・バレエと通りをはさんでお隣なのですが、この固まって何かやっている感じが、アートのパワーを発信する上で大きいそう。
過去には、サンフランシスコ・オペラとサンフランシスコ交響楽団のコラボ企画で、デイビスホールでコンサート形式のオペラを上演し、オーケストラはシンフォニー、指揮者はティルソン・トーマスで、歌手はオペラ側が提供し、オペラの定期会員の人たちも聴けるようにして大成功だったとか。
サンフランシスコにはそういう雰囲気があるのです。
購買行動で価格が影響する度合いは少ない
これも自分の経験に照らすと、聴きたければ払うし、興味がわかなければタダでもいらないという判断をしている。重要なのは価値に見合った価格なのだそう。
シルバー層をよく見る
シルバー層はお金があるから、シルバー割引は無駄。彼らを劇場に呼ぶためには、往きかえりの足で不便さを感じさせないことが重要。祖父母と孫のコンビをターゲットにする。
これらの指摘は、思わず膝を打ってしまうものばかり。確かにサンフランシスコ交響楽団のファミリーコンサートの映像では、おじいちゃんと孫みたいなお客さんがいっぱい映っています。
お客は公演直前に行動する
公演近くになってからチケットを買うお客さんが予想以上に多いそうです。
サンフランシスコ交響楽団でも1ヶ月前に見ると、チケットが結構残っていて大丈夫なのかと思うのですが、コンサート当日になると席が埋まっています。私自身も普段はほとんど前日か当日にしか買いません。
したがって当日売りを値段の高い席だけにすると、お客に不満を与えるだけなのでNGなのだそう。
私もサントリーホールのコンサートに仕事帰りに行き、いっぱい残席があるのにS席しか売らないと言われ、コンサートやめておいしいものを食べに行ったことがあります。
チケット販売は外部のサービスではなく、できれば自前で
マーケティングデータをとり、パーソナルなサービスを提供するためだそうです。
サンフランシスコ交響楽団は自前のチケットサービスですが、LAフィルは外部のチケットマスター社を使っています。私は両方から買っているので、違いがよくわかり面白いです。
チケットマスターは信頼感がありますが、ウォルト・ディズニー・コンサートホールの細かいところに手が届いていません。できればヒトコト言いたいことがたくさんあります。
芸術団体からのメールの反応率は高い
読まれる割合が高いそうです。これもその通りですね。私はチケットサービスの会社からのメールは開封しませんが、個別団体のメールは読みます。
サンフランシスコ交響楽団もLAフィルもチケットの売れ行きが鈍いとメールを送ってくるので、どの公演の売れ行きがイマイチかよくわかる。LAフィルは非常にアーティスティックでカッコいいメールなのですが、画像がブロックされていて開くのが面倒。サンフランシスコからはアットホームな感じのメールが来ます。
観客は重複する
グランドオペラのシカゴ・リリック・オペラと前衛的なシカゴ・オペラ・シアターの観客は競合するとの予想を裏切り、89%重複していたそうです。
これに関連して私も、サンフランシスコ・オペラの大口寄付者とサンフランシスコ交響楽団の大口寄付者に同じ名前があるのを見ました。
このことからも芸術団体は連携した方が得だと言えるのではないかと思います。
定期会員よりもシングルチケットのお客の満足を
私がサンフランシスコ交響楽団に興味を持っていろいろ見ていたときに、定期会員の存在が非常に大きく、これを増やすために大きなエネルギーを費やしているのだろうと推測しました。
何せデイビスホールに行くと、自分の周りの席の人とは皆知り合い。挨拶と近況の話から始まる、みたいな世界ですから。
しかし予想に反し、サンフランシスコ交響楽団の人からは、「定期会員ということにそんなにこだわっていない。今はスケジュールが固定されるのを嫌がる人が多いから」とのお答え。これを聞いたとき、とても意外に感じましたが、本書を読んで納得。
サンフランシスコ交響楽団では、シングルチケットの交換サービス(行けなくなったら交換できる)がありますが、そのもとになったらしい市場調査も詳しく紹介されています。
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アートマネジメント関係者はもちろん、アート好きの方々にもぜひ読んでいただきたい本です。芸術に限らない、顧客との関係を築くいろいろなヒントが詰まっています。