第5回 最後のヴィルトゥオーゾ
今回は、ヤッシャ・ハイフェッツを題材にヴィルトゥオーゾとはどういうものか、どういう演奏家人生なのかを探るという内容。
あまりに自己に厳しく壮絶な音楽人生に、私は気が遠くなってしまいました。
ティルソン・トーマスが19歳の大学生だったとき、ビバリーヒルズのハイフェッツの家にコンチェルトのピアノ伴奏をしに出かけたときのエピソードを紹介しています。ある部分の担当楽器をオーボエだと言い張るハイフェッツに対し、そこはクラリネットだと譲らなかったMTT。実は圧迫面接(?)で、MTTを試していたそうです。他にもヴァイオリンのレッスンで、いきなりAs mollとかEs mollのスケールを弾かせて、ほんの少しのブレも許さなかったとか。これは、どんな場合にも対処できる力が必要だという意味だそうです。
ハイフェッツも使っていたガルネリを今使用している、サンフランシスコ交響楽団コンマスのバランチックが、ハイフェッツの音楽の特徴をその楽器を使って弾いてみせるシーンが面白かったです。
が、しかし、今回のハイライトはヴィルトゥオーゾの音楽人生です。ティルソン・トーマスが語るところによれば、アスリートやダンサーと音楽家の違いは、アスリートやダンサーはピークが限られていて、その何年間かの勝負だけれども、音楽家は例えば30代で技術的なピークがきたとしても、それを維持しながら音楽的な探求をずっと続けていかなければならなくて、それが非常に困難だということ。個人生活においても大きな犠牲を払わなければならず、今ハイフェッツやホロヴィッツ、カラスのようにヴィルトゥオーゾ道に徹する人はいなくなった。皆途中で耐えられなくなり、引退するか指揮者になる(!)とのこと。
ティルソン・トーマスがハイフェッツから学んだことは、キャリアの最後まで決して妥協せず、タフであり続けることだそうです。彼らしい!
(2007.5.9)