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波乱万丈のオーケストラ人生

今でこそコンビで活躍しているティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団ですが、ここに至るには波乱万丈の歩みがあったようです。

一番大きなできごとは、ストライキ。

1996年から1997年にかけて67日間にわたり、43コンサートもキャンセルになったそう。1993年にティルソン・トーマスが次の音楽監督になることが決まって最初の客演も、ストライキでキャンセルされていたというからお構いなしです。

この大きなストで、一般的な給与や年金の他にヘルスケアというのが争点になっていたのに目がいきました。過密なコンサートやリハーサルなどにより、精神的なストレス疾患を訴えるミュージシャンが多くいたのが原因だそうです。この医療費をシンフォニーがどのくらい負担するかで大モメになり、ストライキに突入してしまったのだとか。1996年のヨーロッパツアーでは、会場で組合がビラをまいたというから、相当強烈。

当時の詳しいことはわからないのであくまで推測ですが、組合が折れなかった根底には、ティルソン・トーマスが課した厳しいリハーサルや練習しないとできないような表現の数々、演奏したことのない曲の嵐に、ミュージシャンたちは今までと同じ労働条件ではつき合いきれないという感情もあったのではないでしょうか。

このときの労使双方の損害は甚大で、それ以後こうなるのだけは避けようという空気があるらしいです。

この他にも1998年に長年勤めたコンサートマスターをティルソン・トーマスが切り、2001年に今のバランチックをロンドン響から連れてくるまで空席だったというから、それも驚き。

ティルソン・トーマスがサンフランシスコにやって来て、「これからはアメリカンで行く」と言い出したときも、「そんなことしたら、昔からのお客さんが離れるんじゃないか?」と懸念されたみたいです。本人は「コンサートの最初から最後までやるわけではないし、せいぜい10〜15分だから平気」と自信たっぷりだったようですが、ふたを開けたら本当に平気で良かった。

そしてもう一つの大波、CDを自主レーベルで出すか否かという一件があり、それがうまく行ってオーケストラがサンフランシスコ以外でも評価されるようになって、今日へ続くわけです。

継続しているものには慣性の法則が働くので、今までと流れを変えるとか新しいことを始めるというときには、そこで生じる抵抗を乗り越えなければならないということなのでしょう。MTTは皆の協力を得る努力をしている一方で、妥協や譲歩一切なし、通った後は死屍累々みたいな雰囲気があるから、ひるまず押し通して今日につなげられたのではなかろうかと思います。

(2007.8.8)