一人ひとりの行動が日本を変える
日本のクラシック音楽ファンへ3つの提案
1.自分の基準を持とう
まずは自分の感性を信じよう
ネットでコンサート評・CD評を確かめ、旗色を見ながら自分の意見を決めていませんか?
不朽の「名演」「名盤」の誕生には、商業資本のプロモーションが大きく影響しています。「あんなに感動したコンサートの記事がたったこれだけ???」とか「これのどこが名盤なの???」という経験は誰にでもあるはず。
共感できる音楽は人それぞれ違って当然です。純粋に聴いていいなあと感じる心、自分の感性を信じましょう!
ブランド信仰はそろそろ卒業しよう
一流だと言われているから、有名だから、本場のものだから素晴らしいとは限りません。そうした尺度に過度に頼ることも、自分で判断する能力を低下させます。
来日していない、あるいは国内盤CDがないため日本では知られていない海外のアーティストや、日本人アーティストの中にも素晴らしい活動を展開している人は数多くいるのです!
Myお宝コンサートを発掘しよう
奮発して出かけたコンサートで、本当はピンと来なかったのに、「こんな高いチケット代のコンサートが悪いはずがない」と、無理やり自分を納得させた経験はありませんか?
1回のコンサートに3万円も4万円も出していたら、聴きに行けるコンサートの数は限られてしまいます。自分なりの基準を育てていけば、埋蔵金の発掘よろしく、たくさんのMyお宝コンサートに出会えるでしょう!
2.未来志向で行こう
時代とともに音楽は変わる
巨匠ブームで、過去の録音を最新フォーマットにリマスタリングしたシリーズが人気です。
過去の演奏に新たな光が当たることは歓迎すべきですが、単に「往年の巨匠に比べて今どきの○○はどれも小粒で・・・」と嘆くだけでは、「今どきの若いのときたら・・・」と愚痴るオヤジと一緒です。
流行りの演奏、聴いて面白いと思える演奏は時代とともに変わります。ライブで聴ける同時代性の価値にクラシック音楽の力強い未来を託してみませんか?
さらば教養主義
楽譜が読めない、音楽用語がわからない、オペラで言葉がわからない、歴史の知識がない、着て行く服がない、ワインの知識がない、だから彼女とフランス料理屋に行けない・・・
クラシック音楽を語ることにコンプレックスを感じている人はいませんか?
音楽を教養と結びつけるのは過去のドイツ・オーストリア独特の音楽史観に由来するとのことで、それが唯一絶対ではありません。好きな音楽に引け目を感じる必要はないのです!
ようこそ加点主義
優れたアーティストは多面的な芸術性を備えているものです。一回の演奏で判断すること、先入観で決めつけることは、自分の体験の幅を狭くすることにつながります。
「○○はダメ××もダメ」の減点主義の聴き方からは何も生まれませんが、「こんな解釈もあったんだー!」の加点主義に転換すれば、新たな視界、素晴らしい未来が広がります。
3.日本の聴衆のパワーを生かそう
聴衆が音楽を育てる
欧米で脈々と続く音楽づくりの伝統は、演奏者と聴衆と、それらを支える地域社会の三位一体のコミュニケーションの中で生まれ、長い時間をかけて慈しみ育て上げられてきたものです。
だから彼らは「オラが町のオペラとオーケストラ」を物凄く誇りに思い、大切にします。
私たち日本人も、海外に出かけて演奏者と聴衆と地域社会との関係を直に体験したり、あるいは日本で気に入ったアーティストを継続して支援してみることで、「聴衆が音楽を育てる」ことの重要さに気づくのではないかと思います。
日本発のクラシック音楽を世界に発信しよう
海外で日本人アーティストが活躍することが一般的になってから歳月が経ち、欧米のパラダイム・基準で高い評価を得ることはほぼ達成されたと言えるでしょう。これからは日本から世界へクラシック音楽を発信し、その是非を問う時代です!
「日本発」とは、例えば
- 日本独自のサウンドと日本人作曲家のレパートリー徹底追求型(MTT型)
- 日本人がリーダーとなるアジアンパワー結集型(アジアオーケストラウィーク型)
等々、アイデアは無数にあるでしょう。
いずれにしてもアーティストだけでなく、日本の聴衆一人ひとりが日本から世界へ発信するというマインドを持ち、常にフィードバックの声を上げ、こうした流れを応援していくことが大切です。
日本を変えるのは私たち一人ひとりの意識と小さな行動です!!!
2009年1月1日
潮 博恵
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