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彼らを見て日本のクラシック音楽について思うこと
ティルソン・トーマスをウォッチして思うこと、それは、MTTがカリフォルニアに帰ってきたように、小澤が日本に帰ってきていたら、日本のクラシック音楽シーンは違っていただろうか?ということ。
ティルソン・トーマスは、他にもキャリアを選べた中でサンフランシスコを選び、そしてサンフランシスコで勝負に出た。
小澤が、ヨーロッパでのオペラにおける評価にこだわったのは、日本人のパイオニアだという矜持がそうさせたのかなと思いますが。
ティルソン・トーマスがサンフランシスコ交響楽団とヨーロッパに出かけ、アメリカンな音楽で勝負に出ている姿を見るにつけ、海外で活躍している日本人指揮者の方々にも、いずれは日本に戻ってきて、日本のオーケストラで世界に打って出てほしいと切に思いますし、また「帰ってきたい」と思わせる日本にならなければならないのだと思います。
インターネット、EUの拡大、グローバル経済などが進展し、クラシック音楽も中国や南米など地理的に広がりました。
その結果として現れたものは、「クラシック音楽は世界の共通言語」みたいな単純なものではなく、ジャンルと好みが果てしなく細分化した世界、そして「自分たちのアイデンティティは何か?」を再確認するという動きでした。
このことは、ティルソン・トーマスのアメリカだけではなく、ドイツにおけるメッツマッハーの活動などを見ても明らかかと思います。
作品の様式や演奏スタイルなどにプラスして、自分たちは何者かということがなければ、もはや居場所がないような時代がきたのではないかと思いますし、これこそがボーダーレスな世界での新たな展開なのではないかと思います。
サンフランシスコ交響楽団が、なぜ地元から応援されているかといえば、彼らの音楽が、自分たちのアイデンティティを感じさせてくれて、「自分たちの誇りだ」と感じられるからなのだと思います。
日本のクラシック音楽も次のステージは、このアイデンティティと「自分たちの誇り」になることが求められるのではないでしょうか。