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ヨーロッパの背中

私はティルソン・トーマスの音楽の核心部分は、ヨーロッパの背中を見ている音楽ではないことにあるのだろうと書きました。

KEEPING SCOREの中でも「アメリカンサウンド」を何度も取り上げていること、ヨーロッパ公演を聴いて感じたこと、彼のレパートリーやプログラムなどもすべてそれで説明がつくのですが、そもそも彼が、

「America’s Orchestral Academy」と銘打って、「New World Symphony」と名づけたことから明白でしょう。

その「ヨーロッパの背中を見ている音楽ではない」ことが、大きな魅力になっているということは、非常に示唆に富んでいると思います。誰かの後追いでないというポジショニングの面でも、アメリカ独自のクラシック音楽の発展型を探求しているという点でも。

ひるがえって日本におけるクラシック音楽を見てみると、ヨーロッパの背中を一生懸命に見ているケースが多いように思います。それはことクラシック音楽に関する限り、日本人自身がそのメンタリティのあり方でよしとしているからでしょう。

そろそろ日本独自のクラシック音楽の発展型を探るガッツのある指揮者が出てきてもいい時期のような気もしますし、そうなれば面白いのにと思います。しかしながら、教育において日本のよさとか日本らしさとは何かということを考える機会がほとんどない状況でそういう人が登場するのかとか、人と違うことに大きなリスクが伴う日本社会で、仮にこれにチャレンジした人が現れたとして、つぶされずにMTTのようにしぶとくそれを貫けるかなどと考えると、ハードルが非常に高い。

かくしてヨーロッパの背中を見ていた方がいいという結論に落着く?

(2007.7.4)

ヨーロッパの背中 その2