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マーラー・イヤーにヨーロッパでマーラーをいろいろ聴いて今思うこと
マーラーの没後100年にあたる2011年5月に、ヨーロッパでいろんなマーラー演奏を聴いてみようという企画を実行しました。聴いたのは順に、
10,1,4,2,5,2,6,9,5,7番+亡き子をしのぶ歌の11曲。8オーケストラでした。
指揮者は、アバド、ギーレン、ノリントン、シャイー、アルバート、ティルソン・トーマス、ルイージ、ノットの8人。いずれも第一線でマーラーに取り組んでいる顔ぶれ。今振り返ると、まさに十人十色のアプローチでマーラーに向き合っていたと思いますし、それぞれの人となりというか、生き様が出ていたように思います。
そしてたくさん聴いて思うのは、「決定版はない」ということ。どこかの時点で決定版が現れて、「これで決まり」ということにはならないのだと思います。
(録音していたところはいくつもありましたが)演奏は一瞬にして消えてしまい、はかない。一つところに留まっていなくて流れ去ってしまう感じ。
これからもいろんな演奏が現れては消え、現れては消えて歴史になっていくのでしょう。そう考えると、固定されたもの(過去の録音)に過度にこだわることは、自然の流れに逆らう行為なのではないかという気がしました。
心に残っているのは
振り返って心に残っているのは、ティルソン・トーマスの9番の終末の描き方。100%肯定で息絶えたように私は受け取りました(アメリカ人だからノーテンキで100%肯定というレベルの演奏ではない。念のため)。マーラーが息絶える瞬間を音楽で表現しようとしたということについて、各地でマーラーに関する展示を見たりトークを聴いた後だったこともあり、なお一層その壮絶な芸術家魂に震撼しました。
MTTに関しては、もうほんの少し、すんでのところまで手が届いているのに、神様が微笑んでくれそうでくれないというか、彼も彼なりに一つ二つ条件が揃わない中で、課題を解決するよう仕向けられているというか、きっとそういう風にできているのでしょう。今が勝負どころ、芸術家として極められるかの運命の分かれ道という気がするので、ぜひ踏ん張っていただきたい。
ライプツィヒの聴衆
訪れた中で印象に残っているのは、ライプツィヒのゲヴァントハウスの聴衆。
「ここでマーラー・フェスティバルを開催できて良かった!」と皆が誇りに思って喜びを共有していることがひしひしと伝わってきました。
おそらくライプツィヒの人々は、日本とは違って多くのオーケストラを聴く機会などあまりない環境で、あのホールであのオーケストラを聴いて育ち、そして暮らしている。彼らの姿を見て、いろいろ出かけて聴いては、ホールの音響がどうのとか演奏を他と比較してどうのこうの言っていることが、必ずしも幸せなことではないのでは?と考えさせられました。
マーラーを聴きに東京へ出かける
私はマーラーのお墓で、台湾からやって来たマーラー・ツアーの参加者の一人が発したこのヒトコトに目から鱗の思いがしました。
ヨーロッパでいろんなコンサートに行って目につくのは、日本以外の台湾、香港、韓国などのアジアの人たちが何人も聴きに来ているということ。これは10年前にはなかったことだと思います。
それくらい急速に変わってきている。
東京は(今は原発の問題があるけれども)立派なコンサートホールがいくつもあって、連日連夜よりどりみどりのコンサートを聴ける。いくら欧米の楽団やオペラハウスが日本以外のアジア市場開拓に乗り出していると言っても、いろんなものを連続して聴けるのは東京だけ。
東アジアの国々の人々は東京に簡単に出かけられるだけの経済力をつけつつあるし、実際にほんの数時間で行ける。さらにクラシック音楽には言葉の問題もない。東京は聴衆のマナーが(国際比較で)良いのも長所。
今後、アジアの諸都市からクラシック音楽のコンサートを聴きに東京へ出かけるというマーケットはポテンシャルがあるのではないでしょうか。主目的でなくとも、日本に行ったら歌舞伎などの伝統芸能を観るだけではなく、クラシック音楽のコンサートに行くという選択肢も大きな魅力になりうると思います。
そのためには、外国語で情報発信することや外国人でもチケットが買いやすいなどのインフラが必要だと思いますが、そういう日が来たら面白い。
日本のオーケストラも、「日本のオーケストラのマーラーを聴きに東京へ行く」とアジア各地からやって来るのが当たり前になるよう、ぜひがんばっていただきたいです。
(2011.5.29)