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マーラーのシンポジウムにティルソン・トーマスが登壇
2011年のウィーン芸術週間では、「マーラーの死後」と題した3日間のシンポジウムとチェコのマーラーゆかりの地を1泊2日で訪ねるエクスカーションが開催されます。
その1日目の午後、ティルソン・トーマスとのラウンド・テーブルが行われました(場所:コンツェルトハウスのシェーンベルク・ザール)。
まずはエピソード
シンポジウムは朝9時スタート。時間が早すぎて私は午前の部に参加できなかったのですが、1日目のテーマは「歴史と受容」。オープニング講演の後、4人の欧米の大学の先生によるセッションがありました。
MTTの回は午後2時スタート。10分前くらいに行くと会場の扉に鍵がかかっており、ドアの前に参加者が集まって待っています。私はちょうどベンチがあいていたので座っていたのですが、程なくしてティルソン・トーマスが登場。
彼も参加者と一緒にドアの前で立って待っている。
私は韓国を旅行したとき、電車やバスで若者がサッとお年寄りに席を譲る姿を見て感動して以来、必ずお年寄りに席を譲ることにしているのです。だから自分が座っていて、お年寄り(?)のトーマスが立っているのが非常に気になった。でもMTTはトーマス・ハンプソンやらの仲間と談笑していたので、ま、いいか。
なかなかドアが開かず、結構待ったのですが、ティルソン・トーマスはいつもの少し光沢があるブルーのシャツに黒いパンツ、ジャケット、足元はウォーキング・シューズ(!)という出で立ち。
「トーマスの恰好、暑くない?」(注:ウィーンは毎日晴天で気温が25度くらいある)
「汗かかないから、平気なんじゃない?」
などという会話をしていたところ、さっそくジャケットを脱ぎ、シャツの袖をめくり始めるトーマス。やっぱ暑いんだ。
前置きが長くなりましたが、思い出せる範囲でティルソン・トーマスが話した内容をご紹介しましょう。
ティルソン・トーマスがマーラーについて語ったこと
形式は司会者の方が問題提起と総括をし、ティルソン・トーマスが話すというパターン。MTTは最初に music thinking のイノベータ―だと紹介されていました。
- セッションは、KEEPING SCOREのマーラー編のハイライトを見るところからスタート(5分程度)。
- 制作の意図として、マーラーの幼少時代に聴いていた音や音楽が生涯の作曲における素材になったことを見せるという点にある。音楽に詳しい人だけではなく、知らない人が見ても楽しめるものにするために、1本の筋で話が進むようにした(本当はもっといろんな要素があるけれど、そこはあえて捨象したという意味だと思う)。MTTは子どもの頃、「市民ケーン」を繰り返し見ていたそうで、自分にとっての映画のお手本は「市民ケーン」だと言っていました。
- マーラーの音楽をmusic of lifeだと言っていました。マーラーは映画のように音楽を書いていて、大きな絵である。最初に全景が映し出される壮大なシーン、次に接近したショットで2~3の楽器で描かれるシーン、といった風に(これはMTTの音楽を聴くとよくわかる)。
- マーラーの音楽に対するアプローチにおいて、自分の家(トマシェフスキー)の生活の折々にあったジューイッシュの音楽の影響が大きく、それが自分のマーラー観の特殊要因ではある。
- マーラーが作曲に用いた素材について(ここは時間をかけて話していました)
素材そのものを用いるのではなく、一旦自分の中で消化されてその人と一体化されたものが出てくる(日常の中で遠くから聞こえてくる音や自然の音、においが自分の記憶として集積する)という趣旨のことを言っていました。だから、ドボルジャークがネイティブ・アメリカンやアフリカの音楽素材をそのまま使ったのを「アメリカン」としたことは違うと。MTTの言う「アメリカン」を最初にやったのがコープランドだった。コープランドは最初は政治的な理由からアメリカ的なものを書こうとしたのだけれども、と言っていました。
- マーラーが素材を用いるということに関する自分の考えを述べたものとして、1909年に当時のアメリカの音楽雑誌(雑誌名よく聞き取れず)へ寄稿した文章を読むとよくわかる。皆さんにぜひ読んでほしいのだがと言って、一部を読み上げていました。
- 同じ音楽を聴いても人によって認識が違う例として、南アメリカのラテンのミュージシャンが、同じ音楽について「○△×◎」だ、いや違う「○□×◎」だと激しい口論になった場に居合わせた経験と、ガムランのミュージシャンが合同で演奏しようとしたときに隣村からやってきたミュージシャンの演奏が微妙に違ったという経験について、口でその場面を音楽つきで再現していました(ほとんど違いがわからないけど、なんか違うというニュアンスがうますぎて会場あ然)。
- マーラー演奏の音楽づくりについて
リハーサルで一番時間がかかって難しいのは、静かな部分の音楽への理解を得ることである。今はみんな技術力を持っているから、テクニック的に難しいところや大音響の部分はすぐできてしまう。でも音が何もない空間から聞こえてくるみたいな部分は、日常生活でそういう場を経験する機会がないことがネックになっていて難しいと話していました(これもMTTの音楽を聴けば納得)。
- ティルソン・トーマスはセッションの途中、「会場が暑いので立って話します」と言って椅子から立ち上がっていました(このロジックは意味不明。体感温度は変わらないと思う。冷房がなく本当に暑かった。しかも窓を開けていたら、途中で近所からバンドの練習が聞こえてきた)。
- ヤング・ミュージシャンとの音楽
自分がヤング・ミュージシャン(MTTの認識によると、45歳以下は全員ヤング・ミュージシャンなのだそう)と音楽づくりをしていて痛切に感じるのは、彼らがマーラーやアイヴズなどが用いた素材の元の音楽をほとんど知らないということ。アイヴズは元の音楽を知らない人が演奏したり聴いたりすることを前提に書いていない。このことは音楽教育の問題で、自分は非常に危機感を持っていると言っていました。
- マーラーとアイヴズについて
マーラーとアイヴズは共に世界を表現していたという点で共通するが、アイヴズにとっての世界というのは、1860年代の父ジョージ・アイヴズの世界であった点が違う。アイヴズには諦観の念(resignation)があったけれども、マーラーにはresignationだけではなく、感謝の念(gratefulness)を感じる(ここはもっといろいろ話していました。再現不十分です)。
- 自分は若い頃にオットー・クレンペラーのリハーサルを見に行って、そこで「音楽で一番重要なのは形式(form)だ」と言われ、以来そのことを胸に刻んでいる。フォームというのは抽象的なものではなく、emotionalなものである(ここはMTT流の考えがありそう。私はお茶大の音楽学講座で大宮真琴先生から様式や形式について(優秀な学生ではなかったけれども)たたき込まれたが、そこでのものとMTTが言っているのは違うようだ)。
- 自然の素材を取り入れるということについて
モーツァルトの関心は主に室内にあった。それがベートーヴェンになって外へ広がり、シューベルトは外から素材をさかんに取り入れた。そこからブラームス、マーラーへとつながっていくということについて、ピアノでいろんな室内楽曲を弾いて見せていました。MTTは超人的な仕事ぶりなので、何でもきっちり明確なのかと思っていましたが、やはり年相応で、「ほらほら、あれよあれ、うーん出てこない」状態に何度かなっていました。
話は尽きなかったのですが、その後会場から質疑応答。相当音楽に詳しい人が参加していたということが、質問からも窺われました。
ギュルツェニッヒ管(シュテンツの企画だと思う)で、マーラーの時代のプログラム(マーラーの交響曲の1・2楽章だけ演奏して他の作曲家の曲が挟まる)を再現したコンサートに行ったことがあるが、あなたはそういうことに興味はあるか?という質問には、そういうことはしないと答えていました。
シンポジウムにはマーラーの孫娘のマリーナ・マーラーさんも参加。「マーラーの精神をどう受け継いでいるか、コメントいただけませんか?」という司会者の振りで話始めたのですが、すごく思うところがある人(アルマの面影を感じさせるきれいな人)みたいで長々と話していました。今の世界を見ていて、マーラーが持っていた美の感覚がなくなってしまっているということを感じるという趣旨の発言をしたところ、さっきのティルソン・トーマスの音楽教育への危機感の話とリンクし、MTTもフェイスブックで見える世界が若者にとっての世界になっている等々とコメントしていました。
最後の最後、地元で音楽の指導でもやっていそうな風情のおばさんが立ち上がり、ドイツ語と英語のチャンポンで一生懸命質問した後、「私はあなたとサンフランシスコ交響楽団の交響曲2番のコンサートに行って、こんなに透明感があってクリアなマーラー演奏は初めて聴いたと思いました。あなたは最高のマーラー解釈者だ」と期せずして力説。会場から「そーだそーだ!!」みたいな拍手が沸き起こりました。トーマスは(ほら一人で立っていたものだから)照れちゃって可笑しかったです。
当初ティルソン・トーマスが話すのは1時間の予定だったのですが、大幅に延長して1時間半も話していました。会場は広くなく、100名ほどのオーディエンスでいっぱいの状態だったのですが、非常に盛り上がりました。
この話を聞くだけでもウィーンに来た甲斐があったというくらい、充実したセッションでした。ウィーンの人たちはよくぞ企画してくれた。感謝。
トーマスには、次に日本に来るときは、日本でもぜひしゃべってほしいです。
彼は本当にgreat thinkerだ。
(2011.5.24)