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ボストンを離れてからの20余年を振り返るインタビュー
今年タングルウッド音楽祭に出演し、1988年以来初めてボストン交響楽団に登場するティルソン・トーマス。地元紙のボストン・グローブがインタビューをしています。
記事ではバーンスタインと比較され続けてきたティルソン・トーマスが自分の道を見つけ、それが1990年代から花開いていったのだが、その間客演指揮をあまりしなかったことを指摘していました。ティルソン・トーマス自身もプロジェクトを組めるオーケストラとの仕事に専念したと認めていました。
専念したことで本当に大きな成果でしたが、他方でMTTが生きているかもわからない人を大量に出したことも事実。日本はその典型例ですが、ユーチューブ・シンフォニーのレビューなどを見ても、どんな音楽と活動なのか定点観測可能なニューヨークの評論家(毎年ツアーをやっているから)と、普段何やっているか知らないワシントンの評論家では、出発点の認識に大きな隔たりがありました。
エネルギーを集中してしか創れないものを創ることと世界的名声・人気は、同時に手にできないということなのでしょう。
ティルソン・トーマスにとってキャリアのスタートとなったボストンは、今でも鮮明な記憶となっているそうです。そして自分のやりたいことを実現するためには、どのようにすべきなのか外へ出て多くのことをわかることが不可避であったと述べていました。自分としても若気の至り的恥ずかしさがあるのでしょう。今となっては。
ティルソン・トーマスの本「VIVA VOCE」を読んだときにびっくりしたのは、20代半ばのマイケル青年がボストン交響楽団で、今サンフランシスコでやっているようなアヴァンギャルドな企画ものを東部エスタブリッシュメントのお客さんの前で強行しようとしていたこと(一部実行した)。
MTTは出てきたときから、あの調子だったのです。
それでも当時のボストンの評論家やバーンスタインの「コイツ天才かも!?」という直感は間違っていなかったし、バーンスタインの後を継ぐだろうという予想もその通りになりました。
記事ではタングルウッドで The Thomashefskys を上演することを紹介していましたが、ティルソン・トーマスは、トマシェフスキーのオリジンを掘り起こして、東ヨーロッパのユダヤの民俗音楽などに深く触れたことが、マーラー解釈に大きく影響したと語っていました。
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