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ベルクのヴァイオリン協奏曲&シューベルトのミサ曲第6番

サンフランシスコ交響楽団のシューベルト/ベルクのフェスティバル、最後のプログラムはベルクのヴァイオリン協奏曲とシューベルトのミサ曲第6番変ホ長調。

プログラムの視点は、どちらも作曲家の最後の年に書かれた作品であること。ベルクの中でもバッハのコラールが素材になっていることに着目すれば、教会での合唱つながりとも言えそう。

まず開演1時間前の30分間のプレトーク。担当は、Alexandra Amati-Camperi 氏。内容はシューベルトのミサが、典礼音楽で形式があることを説明し、構成する6曲を順番に特徴的な部分を抽出して聴かせるもの。ベルクの方は、12音技法の上行型と下行型を聴いたり、バッハのコラールを用いている部分をバッハの原曲と聴き比べるもの。

コンサート前半

コンサートの1曲目がベルクで、最初にティルソン・トーマスが話をしました。プレトークで話していた内容とほとんど重複していたのですが、MTTは簡潔かつ起承転結のある話し方で、やはりエンターティナー。

本日のソリストであるギル・シャハムも話に合わせて抽出した部分を演奏するのに参加しました。抽出したのは、曲のはじめの部分、ソロが入って12音の上行と下行のパターン(鏡になっていると言っていました)、キャバレー音楽や民俗音楽が素材になっているのだけれども、それがベルク流になる例、オーケストレーションが厚くなる部分、バッハのコラールの部分(特にクラリネット、小さな教会のオルガンだと言っていましたが、バッハのままのクラリネットとベルク流のソロ・ヴァイオリンのコンビネーション)、2楽章最後の終わり方など。

この曲は、ベルクにとって天使のような存在だったマノン(マーラーの妻であったアルマと建築家との間の娘)が18歳で病死してしまったことで、マノンの思い出として書かれた作品ですが、ティルソン・トーマスは、1楽章がマノンのポートレートだと言っていました。

本番の演奏は、MTTファミリーのメンバー(ティルソン・トーマスが起用するアーティストは、類は友を呼ぶいつものメンバーである)ギル・シャハムが、ぴったりセンスの合う演奏を繰り広げていました。

オーケストラは非常にコントロールされていて、バランスと小さな音にこだわっていました。美しいところが、天上の響きのよう。

今回のフェスティバルでは、この曲を聴くのをとても楽しみしていたので、この顔ぶれで聴けて良かったです。

コンサート後半

休憩をはさんで後半は、シューベルトのミサ曲。

こちらもクリアな響きにこだわった合唱とオーケストラが素晴らしかったです。

ティルソン・トーマスは、若かりし頃のカルミナ・ブラーナの録音でも、サンフランシスコ交響楽団との嘆きの歌でもわかるとおり、なぜか合唱曲とウマが合う。

SFSコーラスは、合唱ディレクターのRagnar Bohlin のもと快進撃を続けており、MTTは自分の追求するサウンドのオーケストラを手にしたばかりか、今や同様に繊細で透明感のある響きの合唱団まで手にしてしまっている。恐るべし。

演奏は、とにかく響きにこだわっていて、フレッシュで透明感がありました。今日はティルソン・トーマスもよけいなことをしていなかったので、アクシデントもなし。

ソリストは、テノールがもう少し立ち昇る感じがあるとなお良かったと思いました。

オーケストラは、特にサンクトゥスの出だしの響きが印象的でした。いつ行っても思うのですが、ティルソン・トーマスは曲の終わり方がうまい。一般の演奏とどこが違うのだろうと思って見ていますが、単に集中力の違いなのかもしれません。

この曲は非常に美しいのだけれど、私は聴いているうちに全部同じに聴こえてきてしまうのですが、今日の演奏は曲ごとのキャラクターも明確で退屈しませんでした。

ここまでシューベルト/ベルクのフェスティバルを聴いてきて、ずっと企画の意図である両者の共通点を探すことにひきずられていましたが、今日はその呪縛からようやく自由になって、純粋に音楽を聴けたように感じました。

シューベルト/ベルクのフェスティバルとは何だったのか?

フェスティバル期間中サンフランシスコでは、MTTの企画の意図は的を得ているのか?メディアのレビューアーもブロガーも自分の意見を書いたり、他の人はどう言っているのか注視していたり、私も自分の感想と比べながら毎回それらを読むのが楽しみでした(メディアのレビューは、初日の翌日には出る)。私は5つあるプログラムのうち4つを聴きましたが、こうしたことにつられて結局毎回ホールに行ってしまった人は結構いたのではないでしょうか(チケット価格のボリュームゾーンは実勢で20~60ドルくらい。内容とのバランスで妥当かつ、複数回聴きに行けるのだと思う)。

何かうまく乗せられた気がしないでもないけれど、そうしたプログラムの展開やみんなの議論も含めたものがこのフェスティバルだったというのが、終わってみてのサンフランシスカンの多数意見でした。

【ソリスト】
Laura Aikin, soprano
Kelly O’Connor, mezzo-soprano
Bruce Sledge, tenor
Nicholas Phan, tenor
Jeremy Galyon, bass-baritone

(2009.6.10)