フェスティバルはマジだった
私はマイケル・ティルソン・トーマスという人は、存在自体がふるっていると思っていますが、今日(6/16)プロコフィエフフェスティバルの2プログラム目に出かけ、考えることもとことんふるっているということに、してやられました。
14日の初日に行ったときは、いつもの彼らの音楽という感じで、普通だと思いました。ところが、2プログラム目を聴き、あれは「これからフェスティバルをやります」という華やかなプログラムによる“つかみ”であって、ここからが本題だったのです。
プログラムは、1曲目がアメリカ序曲、2曲目が交響曲第3番、後半がフェルツマンのピアノでコンチェルトの2番。
この構成にはもうやられたとしか申し上げられないです。アメリカ序曲は初めて聴いたのですが、弦がチェロ1人とコンバス2人、管も数人で後はピアノが2台とチェレスタに打楽器が入るだけという編成。とても個性的な響きだけれど、金管の豊かな響きが活きていました。
対照的に交響曲はフル編成で、あ然とするくらい完成度が高かったです。メインのピアノコンチェルトは、フェルツマンのピアニズムをたっぷり堪能できました。私はこのピアニストを知らなかったのですが、ロシアンな詩情の表現が素晴らしかったです。コンチェルトはとにかくピアノ前面だったのですが、ピアノに対するオケの入りがいちいち決まっていました。
プロコフィエフのフェスティバルは、11日間で4プログラム7公演もあり、そんなにたくさんをティルソン・トーマスが一人で振ってやるのだから、密度は薄めなのかと思いきや、とんでもない。今回も徹底的ハイクオリティです。
そしてそんなに公演やってお客は入るのか?と思っていたら、ちゃんと入っていました。この日は土曜日ということもあり、開演1時間前のプレコンサート・リサイタル(フェルツマンのピアノ)もオーケストラフロアのほとんどが埋まっていました。サンフランシスコ交響楽団のプログラム冊子は、結構いろいろ書いたものが詰まっているのですが、休憩時間にそれを読んでいる人を結構見かけますし、帰りに駅で電車を待っているときも、ホームでそれを読んでいる人が何人もいてびっくり。
残りのフェスティバルも趣向を凝らしたプログラムで非常に聴きたいのですが、聴くためには後1週間滞在しなければならないので、さすがに日本に帰ります。
(2007.6.16)