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ノット指揮バンベルク交響楽団を聴く

マーラー・イヤーにヨーロッパでマーラー演奏をいろいろ聴く企画の最後は、ジョナサン・ノット指揮バンベルク交響楽団(バイエルン・シュターツ・フィルハーモニックとの合同オーケストラ。場所:コンツェルトハウス)によるマーラーの交響曲第7番。

財政的に厳しい状況に見舞われるオーケストラがいくつも出ているアメリカでは、100名もの楽団員を抱えることがそもそも荷が重い。もっと少ない人数にして、マーラーなどの大編成曲を演奏するときは、他のオーケストラと合同すれば良いではないか?という意見も出ていますが、これはまさにそういうことなのでしょうか。

ノットとバンベルクのコンビは、来日したときに武蔵野公演に行こうとしたものの、既に当然のようにチケットが残っていなかった(いつも行動を起こすのが遅い)ため、生で聴くのは初めて。

ウィーン芸術週間のコンツェルトハウスでは、連日ユニバーサル・エディションの協力で、コンサート前に例の「グスタフ・マーラー2010/2011」ブログにアップされているマエストロへのインタビュー・ビデオを会場で流しています(1日5人ほど)。

ノットもその中にあり、ハイテンションでしゃべっているのですが、指揮ぶりやステージマナーはビデオから受ける印象と全く同じでした。

うちではかねてより、ノット/バンベルクのマーラーのCDに関し、「なぜこのテンポなのか?」ということが話題になっていたのですが、実演に際してみても最も感じるのは「なぜこのテンポなのか?」。

彼独特のテンポ感があるのです。

1楽章冒頭でそのテンポに「これで演奏したらいったい何分かかるのか?」と気が遠くなりそうでした。途中表現によって結構テンポは動くものの、1楽章から4楽章まで聴き手の体感テンポは同じ。5楽章になって最初速くなったので、「これでサクサク進むか?」と思いきや、弦のアウフタクトで入るテーマからまたいつものテンポに。

演奏する側に立つとわからないのでしょうが、マーラーを70分も同じテンポで演奏されると聴き手の立場だったらどうか?想像力を働かせてほしかった。

でも不思議と観客は(苦痛もなく)熱心に聴き入っている様子で、サンフランシスコ交響楽団の日に比べて咳などの物音もほとんどしない。演奏が終わると大きなブラボーの声がいくつも飛んでいました。

私はこれはどういうことなのか?考えてしまいました。おそらく今日は地元の日常的に音楽を聴きに来ているコアな人たちが集まっていて(サンフランシスコみたいな外来オケだと、そうでない人が混じっているのでは?)、彼らはいつもこういうノリの演奏を聴いているからそれが当然で、テンポにも特に疑問も感じないのでは?

そう考えると、ウィーンという街の常識というものや演奏者と聴き手の関係が垣間見える。

オーケストラは、弦がメインの位置づけで、管はそれに彩りを添えているような印象でした。

コンサートの前半は、音楽祭のテーマである「アメリカ」作品のアイヴズ作曲「ニューイングランドの3つの場所」が演奏されたのですが、弦の響きがきれいでしたし、MTTほどアイヴズが用いたもとの音楽が明確にわかったり、メリハリが効いていたりはしないものの、構造的にきっちりとした演奏。

マーラーも5楽章の最後、鐘などの打楽器が入る直前に一気にクレッシェンドして盛り上がっていました。

(2011.5.27)