トップ>マイケル・ティルソン・トーマス>here
ティルソン・トーマスが来日していた頃のインタビュー
仕事の調べもので国会図書館に行った折、ふと目に入った「雑誌記事検索」という文字。
そういえば、ティルソン・トーマスは来日していた頃、雑誌に取り上げられたりしていたのだろうか?
90年代、ティルソン・トーマスはPMFで来日していました。私のMTT七不思議(?)のひとつが、この来日に関すること。どういう疑問かと言うと、
ティルソン・トーマスは毎年のように来日していたのに、なぜ日本人にとっておなじみではないのか?
というもの。北海道でMTTが人気だという話も聞いたことありませんし、PMFの歩みみたいなものを見ても、ティルソン・トーマスは目立たない。わが家だって当時かなりコンサートゴーアーだったのに、MTTはわが家を華麗に(?)スルー。雑誌もチェックしていたはずなのに気づかず。他方でティルソン・トーマスからは、かなりの日本通であるらしき印象を受けます。
これはいったいどういうことなのか?
さっそく、サーチワードを入れてみると、出てきた記事は3件。内訳は、
レコード芸術1997年10月号(サンフランシスコ交響楽団との来日プロモーション記事、あわせてBMGとの録音について)
音楽現代1997年11月号(サンフランシスコ交響楽団との来日がらみ)
レコード芸術1999年10月号(PMF10年目)
音友やモーストリーの記事はなし。雑誌記事検索がどこまで捕捉しているのかは不明だから、「指揮はマイケル・ティルソン・トーマスだった」程度に載ったものはもっとあったのかもしれません。
いずれにせよ、単独でフィーチャーされた記事がとても少なかったことが判明。
記事を読んでみると、MTTはぱーぱーよくしゃべる。そしてサンフランシスコの都市の気質やお客さんとの関係づくりに努力したプロセス、サンフランシスコ交響楽団の活動の全体像から切り離されて、ティルソン・トーマスの話だけを単独で読むと、
宇宙人かエイリアンの話みたいなのだ。
例えば(再現は記憶に基づくので不正確です。大意だと思って読んでください)、
MTT「コンサートでよく話をします」
インタビュアー「コンサートの前にですか?」
MTT「いいえ、コンサート中にです。そのとき思いついたことを話します。話す内容は、ちょっとしたヒントみたいなものです。曲のなりたちのような話はしません。そんなのはプログラムノートを見れば書いてありますから。予告なしにプログラムにない曲を演奏したりもしますよ。観客はサプライズを喜んでくれます。」
インタビュアー「現代ものなどをよく取り上げているようですが、興味をもってもらうことは難しくありませんか?」
MTT「いいえ。私は観客に信頼されていますから、私がコレ聴いてみてと言えば、みんなついてきてくれます。」
と、「何で信頼されているのか、そこを話せよ」という感じなのです。
その他にも(LSOとの録音について)「マーラーの交響曲第7番の5楽章といえば、過去多くの指揮者がいかに統一性をもたせて演奏するかに頭を悩ませてきましたが、、、」
MTT「統一性?私は統一性をもたせて演奏しようなんて思いません。突然脈絡ないものが現れるままに演奏します。」
MTT「いずれにせよ、私は人にどうしても伝えたいと思えるようなものしかもう録音したくありません。」
さらには、
MTT「モーツァルトやベートーヴェンの同じような曲が並ぶ演奏会に、もう観客はうんざりなんですよ。わずかな演奏の違いを解釈だといって問題にすることに。どうしてロックのコンサートにあれだけ人が集まると思いますか?刺激があるからです。」
MTT「サイアクな演奏会とは、何の印象にも残らない演奏会です。現代ものを聴かされて、曲に腹が立っても全然かまいません。腹が立つとどんな曲だったか人に言いたくなるでしょう?それでいいんです。それに人に話してくれれば、パブリシティにもなりますから。」
などと、だんだん調子づくわけですが、「おっ、MTTはちゃんと持論を話しているではないか!」と思う反面、
当時これらのインタビューを読んだ人はどう思ったのだろうか?
と思わずにいられません。
私はやはり、ティルソン・トーマスの活動に関する話というのは、サンフランシスコ文脈とセット、かつ、なぜ彼がそう考えるに至ったかの背景への理解が必要なのではないかと思います。なぜならMTTの話は、日本において一般的に流布している考え方(常識?)と違うから。本人の話だけを独り歩きさせては、日本人には何だかピンとこないし、変わったことを言っているとしか見てもらえない危険がある。
実際、私がするMTTの話も、日本でクラシック音楽にどっぷりつかっている方ほど、ピピッと来ないような印象を受けます。
これらインタビュー記事を読んで、話でわかってもらうって難しい。やっぱり活動を見てもらうのが一番なのだろうと感じました。
(2008.7.4)