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シューベルト/ベルク・ジャーニー
サンフランシスコ交響楽団のシューベルト/ベルクのフェスティバル「夜明けから黄昏へ」。私は2プログラム目から聴きました。プログラムのテーマは、シューベルトとベルクをめぐる旅。
ビフォア・ザ・コンサート
まずコンサートの1時間前に、30分のビフォア・ザ・コンサートがありました。
プログラムはシューベルトのピアノ連弾曲、ロンドD.951とD.608。当初の発表ではユリア・フィッシャー出演とあり楽しみにしていたのですが、彼女は夏の終わりに出産予定だそうで負担を減らすためなのでしょう、MTTに変更。こういうときのカバーも音楽監督の仕事のうち。ブロンフマンとの共演です。
ピアノの連弾というのは、シューベルトが親しい仲間と音楽をいろいろ試してみた中で生まれた作品で、そうしたことが途中相方と手がクロスするところなどにつながっているそう。
ティルソン・トーマスは、バーンスタインとよく連弾していたエピソードを紹介していました(トマシェフスキーの話と同じで話す度に脚色が違うが、要はバーンスタインにわなをしかけられたということで、そこは真実らしい)。コワモテのブロンフマンとのかけ合いもありました。
MTT「この曲は余興に演奏したものなので、正装して演奏するようなものではありません」
ブロンフマン、タキシードの蝶ネクタイをはずす。
MTT「重要なのは、座る位置です」
(ピアノを見やると)
ブロンフマン、どっかと座っていてMTTの座るスペースなし。
ようやく座ってスタンバイ。やおらブロンフマンが眼鏡ケースを取り出して渡す。
MTT「おっと、これがないと大変!」
(老眼鏡にかけ替える)
演奏は、D.951はMTTがファースト、D.608はブロンフマンがファーストを担当。MTTは楽譜にかじりついて弾いていました(だから、老眼鏡がないと大変!)。その点ブロンフマンは余裕。余裕がなくてもパフォーマンスは忘れないのがティルソン・トーマス。片手だけのところや手がクロスするところをお客さんがよくわかるように弾いたり、相方にいろいろ仕掛ける面白さを強調していました。ブロンフマンがそれに「嫌そう~」につきあったり、「楽しそう~」に応じたりで変化をつけていて面白かったです。
MTTは、コンサート1曲目では、このロンドの音楽を思い出してねと言っていました。
コンサート前半
コンサート前半のプログラムは、
シューベルト:ヴァイオリンと弦楽のためのロンドD.438(ユリア・フィッシャー)
ベルク:アルテンベルク歌曲集(ローラ・エイキン)
ベルク:ルル組曲よりロンド
ヴァイオリンと弦楽のためのロンドは、シューベルト作品の中で数少ないコンチェルト的なもの。ティルソン・トーマスは様式感のあるエレガントな演奏に仕上げていました。
ユリア・フィッシャーは初めて生で聴きました。常識的な感じがしましたが、これだけでは彼女の音楽がどういうものかはまだわかりませんでした。
次いでベルク。演奏前にティルソン・トーマスが話をし、この曲の一部が「春の祭典」と同じ1913年の初演で、やはりコンサートがスキャンダラスだったというエピソードを紹介し、ベルク的な表現を抽出して聴かせていました。毎度のことですが、彼らは抽出する場所をきちんと準備しています。MTTが何もいわずに振り下ろしただけで、全員がその部分を弾きますから。いつも非常に細かい準備の積み重ねだと思って見ています。
プログラム構成は、ベルクの最初の交響的作品であったアルテンベルク歌曲集と最後の作品「ルル」(ここではルル組曲からロンドが演奏されました)を続けて演奏することで、規模や技法の発展を体感するというもの。
アルテンベルクは1曲が短いのですが、小さい中に世界があって、その一つひとつが違うことを歌手もオーケストラもうまく表現していたと思います。
ソプラノのエイキンは、アナ・スイっぽい黄緑の地に茶と赤に近いピンクがアクセントになったドレス、同色の靴が、ブラウンのショート・ボブによく似合っていました。
ロンドは、1曲目のシューベルトのロンドとの対比で、ロンドという形式でここまで発展したという視点を提示しつつ、アルテンベルクとの対比でもベルクという一人の作曲家の音楽の発展ぶりを示したスケールの大きい演奏でした。
オーケストラは、いつものMTTワールド(つーっと聴こえるあれです)なので、ベルクの音楽にオーケストラのサウンドが合っていました。
コンサート後半
後半のプログラムは、
ベルク:ピアノソナタ(ブロンフマン)
シューベルト:岩の上の羊飼い D.965
ベルク:ルル組曲より
オスティナート
ルルの歌
変奏
アダージョ
ベルクのピアノソナタは1楽章からなる作品。ベルクのシェーンベルクからの卒業作品と位置づけられるもので、ベルクが一つの音楽的素材をどう発展させていくかをマスターしたことが見て取れるそう。
ブロンフマンは毎度のことですが安定していて、非常に完結感のある演奏でした。
続くシューベルトの岩の上の羊飼いは、ソプラノ(エイキン)とクラリネット(SFS首席のベル)、ピアノ(ティルソン・トーマス)という組み合わせ。岩山の距離感やエコーなどが表現されているとてもわかりやすい音楽で、歌とクラリネットの掛け合いが細かいところまでぴったりと表現されていました。
この曲のピアノはブンチャチャチャ、ブンチャチャチャとずっとやっているのですが、こちらはMTTもばっちり準備してあり、小さな音量で粒をそろえて和声が変化するベースをきちんとつくっていました。
プログラム最後は、ルル組曲のオスティナート以降。岩の上の羊飼いがシューベルトの最後に完成させた作品だったので、ここでもルルとの対比となります。
シューベルトの音楽が自然の風景と調和していたのに対し、ルルは情念的。このコンサートで音楽の発展段階を追って体験してきていたので、絶叫が断末魔のようでした。
ティルソン・トーマスは、ベルクの中にある叙情的で耳のとっかかりになるようなわかりやすい断片をクローズアップして表現していたと思います。いつもながら完成度が非常に高く、1曲ごとの終わり方が印象的でした。
余談ですが、ティルソン・トーマスは、曲の途中でチェロに向かって何か叫んでいました。多分入りを間違えたのでしょう。本番で声に出して間違いを指摘している光景というのも他では見かけませんが、ベルクのように曲が複雑な場合、一番早く確実に正す方法がきっとこれなのでしょう。
ソプラノのエイキンは「ルル」を非常に歌い込んでいる感じがしました(リヨンやパリ等で歌っているそうです)。おすすめ歌手です。聴く機会があれば、一度ぜひ。
フェスティバルの意図
今回のシューベルト/ベルクのフェスティバルにあたり、なぜこの二人を並べて取り上げるのかについて、サンフランシスコ交響楽団はプログラム・ノートで曲目解説のほかに、7ページにも渡ってティルソン・トーマスの意図を含めた考察の文章を掲載していました。
事前のパブリシティやプロモーションでもしきりに語っていたので、聴き手は必然的に本当に彼らの言うとおりなのか、どこが共通するのか探りながら聴くことになり、能動的に聴かざるをえない。
実際にシューベルトとベルクを並べて聴くと、愕然とするくらい違うという印象を受けましたが、そういう聴き方や受け取り方を含めたものが、彼らの企画の意図だったのでしょう。
そういう意味では、今回のMTT/SFSとともに探求するという試みは、彼らがこれまで取り上げて来た様々なプログラムの中でも難易度の高いチャレンジングなものだったのではないかと思います。
残りのプログラムがどう展開するのか楽しみです。
(2009.6.4)