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ウィリアム・ケントリッジのショスタコーヴィチ「鼻」

ニューヨークに来て、まずはメトロポリタン・オペラから。ショスタコーヴィチの鼻を観ました。

NOSE

南アフリカのアーティスト、ウィリアム・ケントリッジ演出で、コンテンポラリー・ビジュアル・アートとオペラを融合させた新プロダクション。同時期にMOMA(ニューヨーク近代美術館)もケントリッジを取り上げ、2芸術団体のコラボになっています。

今回の作品は、エクサン・プロヴァンス音楽祭とリヨン歌劇場との共同制作で、ケントリッジの代表的な手法である、木炭を使ったドローイングのコマ撮りアニメーションが効果的に使われています。木炭から造形されてまた崩される、その繰り返しが印象的。

舞台のフレーム全体を使って、様々なソビエト時代の映像や文字の組み合わせ(新聞記事を使ったものなど)がコラージュで次々と展開し、そこにアニメーションが立体的に浮かび上がります。そして歌手が演技する空間が出没する。

まずオープニングは、舞台の幕(文字のコラージュ)に抽象的なオブジェがアニメーションで浮かび上がり、「何かな?」と思って見ているとオブジェが回転し、方向が変わるとショスタコーヴィチの顔になって見えるという仕掛け。みんなそれだけで

おー

と拍手。ストーリーは、ある日鼻がなくなった男が鼻を探しに行くと、役人になった鼻を見つける。男はやっとの思いで鼻を手にするものの、もとの位置に戻らない。万策尽きるのだが、ある日鼻が元に戻って何事もなかったかのような日常に戻るという話。

作品を通して、「鼻」の動きも登場人物の衣装も全てがデザインを考え抜かれていてアートでした。

エンディングも、通常とは少し変え、このようなナンセンスな作品が存在する意味を考えさせて終わる内容。「この国では、考えられないようなことが現実に起こる」と言っていました。私は「この国」ってソ連?それともアメリカ?どちらだろうと考えましたが、きっとアメリカなのではないかと思います。

プロダクションは、最先端をゆくビジュアル面に対して、音楽も歌手とオーケストラが共にエッジーに仕上がっていて釣り合いがとれていました。指揮はゲルギエフだったのですが、細かいところまで神経を使ったきっちりとした仕事ぶり。

私がオペラに通っていた頃(MTT&SFSを集中的に聴きに行くようになる前)、METはスター中心の豪華な舞台でエンターテインメント性が高く、問題提起をしたり社会風刺的な舞台は少ないイメージでした。ところが最近では、テレビで放映されるプロダクションを見ても、多様な作品を様々な演出手法で取り上げていて、とても進化していると思います。もしかしたらオペラ界全体が進化していて、私がついていっていないだけかもしれませんが。

今回の舞台を見て、その最先端アートぶりに浦島太郎状態。

  • 2010年3月23日
    Production: William Kentridge
    Conductor: Valery Gergiev
    Kovalyov: Paolo Szot
    Police Inspector: Andrei Popov
    The Nose: Gordon Gietz

翌日MOMAの展示に行ってみた

オペラを見た翌日、MOMAのケントリッジの展示を観に行きました。木炭を使ったドローイング作品の展示や大きな映像作品を上映。自身の制作過程そのものを映像作品に仕立てたものもあり、ケントリッジの世界がどのようなものか理解を深めることができ、面白かったです。

今回の企画では、このMOMAの展示の他にも、METに併設されたギャラリーでオペラ「鼻」を完成させるまでの過程で制作した関連作品の展示もあり、これも非常に興味深かったです。またパブリック・ライブラリーでケントリッジのトーク・セッションも開催されていました。

(2010.3.25)

追記

今回他にもMETで、トマ「ハムレット」(3月24日)とヴェルディ「アッティラ」(3月27日)を見ましたが、この2つは従来の路線でした。ただし、2つともとても低予算なセット。「鼻」は特別にチャレンジした意欲的な作品だったようです。

「ハムレット」は、簡素な舞台ながらもドラマのエネルギーがあって盛り上っていました。「アッティラ」は、各役ともがんばっていましたが圧倒的ではなく、これだったらSFオペラも負けてない(私は最近見るオペラがSFSついでのSFオペラばかりなため、それが基準になっている)と思いました。

(2010.3.30)