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インフラとしてのアート
マイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の音楽と活動を見るときに、ぜひ着眼していただきたいのは、彼らの活動がインフラとしてのアートという位置づけだという点です。
今日本では、アート・プロジェクトやアート・フェスティバルが全盛。どこそこで○日間で○万人動員、チケット売上げ○億円などの数字が踊り、その成功を受けた新しい試みも続々登場しています。
これらは波及効果はあるにせよ、一種起爆剤的にアートの力を生かす方向性のものだと思います。
これに対して、マイケル・ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団の活動は、言わば水や電気みたいにアートがいつもそばにある生活を目指したものといえるでしょう。
もっと力が抜けていて普段着、静的なイメージです。
この2つは、相反するものではなく、両方のアプローチがあることで、より豊かなアートを享受できる社会が実現するということなのだと思います。
しかしながら、今日本でアートの力やアートで何ができるかを語る場面は、圧倒的に前者に注目しており、後者は放置されがちなのではないでしょうか。
なぜなら後者の活動は、長期的視点を要し、時間と労力がかかるからです。
教育プログラムを見ても、日本では、教育プログラムだけを取り出して、別枠で論じたり単発的に提供している印象を受けますが、サンフランシスコ交響楽団の場合は、あくまでシンフォニーが提供する音楽の一部として、連続性がある中の一つとして存在します。
いつもそこにある存在
例えばシンフォニーが円筒だとすると、その円筒が私の前でゆっくりと回転しているイメージ。小さいときには学校で一緒にアンサンブルをし、休日には公園へ家族みんなでピクニックコンサートに行った。大きくなるとデイビスホールのコンサートへ行く。あるときは子どもの学校で保護者に音楽を披露する会があった。シンフォニーのスペシャルイベントでボランティアをした。このようにシンフォニーはいろんな面を見せながらいつもそこにあって、人生の様々な場面でずっと関わっていく存在なのです。
サンフランシスコ交響楽団の活動は、コミュニティの人々の生活の質を上げることを目標に、音楽で人々の生活のベース部分に関わっていく活動なのだと思います。
豊かな音楽生活とは何かを考えたとき、このインフラとしてのアートという視点は欠かせないのではないでしょうか。
サンフランシスコ交響楽団の様々な活動は、この発想の上にあるという点に、ぜひ着目していただきたいです。