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おまけコラム:オーケストラは苦痛を売る?
サッカーのサポーターとクラヲタの心理は同じ?
日経新聞朝刊のスポーツ欄「フットボールの熱源」というコーナーで吉田誠一さんが、サッカー・クラブが地域に根ざした愛されるクラブになるためにはどうすべきかというお話を書かれています。オーケストラの地域に根ざした活動の話ととても共通点が多いので、私は毎回楽しみに読んでいるのですが、今日(4/16)は、「クラブは苦痛を売る」というお話でした。
サッカー・クラブのサポーターは、先制されれば心を痛め、負ければなおさら。リードしていてもひやひやで、勝ったとしても次の試合を心配するし、リーグに残れるかとか、今季は大丈夫かとか、常に心配の種を抱えつつ、それでも応援し続ける、クラブのために苦悩してくれる人である。これは音楽家などを支持するのとは違う心理だという内容。
いやいや音楽家もファンの心理は同じようなもの。とこれを読んだ私は思いました。
例えば、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団ファンである私の場合、
まずホールに出かけ、客席に座ると、「お客さん入るかな?」と思う。彼らの場合、ここは軽くクリア。
でもそこがヨーロッパだと、周りを見回し、「ちょっと、お客さんの平均年齢高めだけど、MTTいつもの調子(アメリカンぶちかましのこと)でやっちゃって大丈夫なのかな?」と不安がよぎる。(注1)
演奏が始まったら始まったで、そもそも私はウィーン・フィルに行っても、ベルリン・フィルに行っても、よけいなお世話と思っても、ソロパートとか難所にくると、「がんばれっ」と祈っちゃうタイプなので、サンフランシスコ交響楽団は言わずもがな。
交響曲など、1楽章はこことあそこ、2楽章は、、、3楽章は、、、と、「ここが鬼門」とか、「あそこは決めないと」とか、自分で勝手に通過ポイントを設定しちゃっているもんだから、ほとんど障害物競走の心境。
演奏がうまく行ったら今度は、「フライング・ブラボーとか、フライングの拍手でぶちこわす人、出ないよね?」と最後まで心配は尽きない。
ヨーロッパの音楽祭など、多くのオーケストラが連続して登場する場だと、ドイツのオーケストラの重厚な響きと並べて聴いても大丈夫なのかとか(注2)、MTTはよけいなアクション決めすぎちゃうんじゃないかとか(注3)。さらには現地の評論家にどう評されるのか、いっぱい集めて読み比べたり、ネットの書き込みをチェック。こうして、あーだこーだは果てしなく続く。
こんな調子だから、サッカーのサポーター心理と変わらない。
クラシック音楽は、技術面の比重が高いのでアスリートと共通点が多いのか? オーケストラはチームだから、サッカー・チームを応援するのと共通するのか?
私は、スーパープレイヤー軍団とまでは言い難いサンフランシスコ交響楽団が、MTTのもと団結して、スーパープレイヤー軍団の中に出て行っては、アメリカンをやっている姿が、そうさせるのではないかと思います(だからデイビスホールでは安心して聴いていられる)。
それにしても他のオーケストラのファンには、ここまでのストレスはかからないのではないでしょうか。チャレンジャーって、それを応援する方も大変。
苦痛を抱えたファン心理、我ながらおめでたいと思いつつもやめられない?
(注1)MTTはそれで40年もやってきた人なので、そんなことではひるみません。そもそもアメリカンをやらずして、何やるの?って話ですし。
(注2)ドイツのオーケストラと並べて聴いても遜色感じません。大丈夫。
(注3)これはあきらめましょう。
(2008.4.16)