過去の繁栄と今~ポルトガル編~
行ってみたいとは思いつつ、世界一周を企画しなければ実際に訪れることはなかっただろうと思う国ポルトガル。ポルトガルと言えば、大前研一が常日頃「日本もこんなことをしているとポルトガルのようになってしまうぞ」と警告するのを何度も目にし、「輝かしい繁栄の後に延々と続く衰退から這い上がれない」象徴だと認識してきた。今のポルトガルに行ってみたら何を思うのだろうか。
10月24日
ビルバオのホテルで昨日「明日はバスのストライキがあるかもしれない」と案内されて心配したが、ストライキは回避されたようで、朝9時半に無事空港行きのバスに乗ることができた。
スビスリ橋と同じサンティアゴ・カラトラーヴァのデザインによるビルバオ空港。
小さな飛行機。ポルトガル航空(TP1069便)。
機内食にはサンドイッチとネクターが出た。ピーチとアップル。懐かしい味。
リスボン到着し、地下鉄で移動してサルダーニャ広場近くのイビスホテルにチェックイン。早速街歩きをスタートする。サルダーニャ~エドゥアルド7世公園~ポンバル公爵広場へと歩く。広い公園、空間のスケールが大きい。広場には焼き栗売りのちょっと焦げた煙が上がっていた。おばあさんが買って行く。
リスボンのシャンゼリゼと呼ばれるリベルダーデ通り。幅のある並木道が続く。どこの街にもある顔ぶれのブランド・ショップが軒を連ねる。
職人の手作業による石畳が敷き詰められている。
丘の街リスボンには3路線のケーブルカーが走っている。
とても楽しみにしていたポルトガル料理。前菜の干しダラのコロッケ。タラの分量によって受ける印象は異なる。少ないとじゃがいものコロッケ的、多めだとタラの塩気をじわっと噛みしめる味になる。ロシオ広場近くのシーフード・レストランBaleal。
絶対に試したかったイワシの炭火焼き。リスボンでは毎年6月12日に行われる聖人アントニオの誕生日を祝う祭りが別名イワシ祭りと呼ばれ、イワシの解禁日となる。その時期はレストランの店先でイワシを焼く炭の煙が風物詩となるのだが、残念ながら私たちが訪れたときは季節ではなかった。それでもレストランのメニューにはイワシがあった!
一尾が日本で食べる一般的なイワシより大きい。シンプルな味だが、内臓が特においしかった。
イワシのつけ合わせのサラダ。
ナマズ(?)の煮込み。揚げたバケットに煮汁を吸わせて食す。トマトベースだが、かなり濃い味(おそらく魚のクセとバランスさせるため)。イワシを全部平らげた時点でおなかいっぱいだったため、これは余計だった。ひと通り食べたが途中でギブアップ。インターネットでポルトガルは一皿の盛りが大きいという書き込みを見ていたが、甘く見ていた。
食後はシアードに移動し、ファドのショーへ。ナイトクラブではなく、食事もお酒もないシアターでショーだけを楽しむ。公演開始時刻も終演後にちょうど夕食となるような時間帯に設定。今はどこも同じでシニアの観光客が多いため、夜遅くならずにファドを軽く聴きたいというニーズがあるのだと思う。
アーティストは歌手2人にギター2人。ポルトガル語がわからない観客ばかりなので、器楽のみの曲の方が受けていた。ファドの魂とも言えるキーワード「サウダーデ」(郷愁、悲しみ、懐かしさなどが入り混じった感情を表す)については、複数の言語で意味の説明が舞台に映し出されていた。日本語もあり。
ファドの音楽は、歌い出しなど大枠のみが決まっていて、後は歌手や演奏者にゆだねられている。だから聴き手は一度聴いてメロディを覚えられたりはしない(繰り返さないから)。途中に聴衆も一緒に歌うコーナーがあったが、みんな歌えなかった。この点においてもっと工夫する余地のあるショーであった。
旅の記録をつけているノートを使いきってしまい、日本で買ったのと同じようなものを探していたところ、シアードに無印良品のお店があったのでそこで購入した。日本円で80円のシールが貼ってある商品が1.90ユーロ。とても損した気分になった。
地下鉄の駅構内。とにかくタイルが多く用いられている。
10月25日
リスボンのホテルの朝食にはナタ(エッグタルト)があった。パリパリな皮とカスタードクリームの対比が楽しいご当地メニュー。
今日は1泊2日でポルトガル第2の都市ポルトへショートトリップ。
オリエンテ駅より、ポルトガル鉄道(CP)が誇る高速列車アルファ・ペンドゥラール(AP)に乗る。期待して乗ったが、すごく揺れた。WiFiがあるのは良かったが、字を読んでいると酔いそうだったのでやめた。
車窓の風景は枯れた感じで冴えない。
ポルトの街は坂が多く、アップダウンがある。アズレージョ(装飾タイル)を用いた建造物がそこかしこに。石とアズレージョの鮮やかさが対照的なサント・イルデフォンソ教会。
サン・ベント駅。アズレージョは1930年にジョルジェ・コラコによって制作された。ポルトの歴史的な出来事が描かれている。
クレリゴス教会の塔は76mある。
坂の多い旧市街のそぞろ歩きは楽しかった。ハリー・ポッターの撮影に使われたというレロ・エ・イルマオン書店はたくさんの観光客でにぎわっていた。写真撮影不可だったので、写真がないのが残念だが、レトロで不思議な雰囲気。周辺は教会も多い。
路地に入り、ドウロ川の方向へ坂をあちこち曲がりながら下りて行く。
ドウロ川沿いはオープンエアのカフェやレストランが並んでおり、観光客が多い。ドン・ルイス1世橋(1階)を渡って対岸のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアへ。橋は2階建て構造で、1階は歩行者と自動車、2階は歩行者とメトロ用になっている。
対岸から見る旧市街の眺め。ポルトの歴史地区は世界遺産に登録されている。
ドン・ルイス1世橋の全貌。人が歩いているのが見える。
日が暮れてゆく景色をずっと眺めていた。
左手のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイアにはワインセラーが多い(私たちは訪れず)。
夕ごはんはカンパーニャ駅近くの有名店、Casa Alexioへ。タコの天ぷらとタコ飯、タラの天ぷら。タコがすごくやわらかい。タコもタラもおいしかった。タコ飯は噛みごたえがあり、じわーっとしたうま味がある。
ポルトのワイン。
驚いたのは隣のテーブルのお客さん。最初に開けたワインを飲んでクレームをつけ、別のものを持ってこさせて、それも開けて飲み、再度クレームをつけて替えさせていた。お店の人もクレーマー対応という感じではなく、普通に対応していた。遠慮なく言ってよいということにびっくり。
10月26日
日曜日につき、街や道行く人に休日らしい雰囲気が漂う。市庁舎前には緑が広がっている。
ポルトへ行ったらぜひとも訪れたかったカーサ・ダ・ムジカ。2005年に完成した音楽ホールでそのモダンなデザインが話題となった。
オルケストラ・シンフォニカ・ド・ポルト・カサ・ダ・ムジカのコンサートのチケットを予約していたのだが、12:00開始のコンサートなのに11:30になってもホールには人の気配がない。全く事情がつかめなかったのだが、ボックスオフィスのスタッフ3人目と話して初めて、今日から冬時間で1時間遅くなったということがわかった。それで朝市庁舎の時計を見たとき、1時間遅れていたことにも合点がいった。ポルトガルは財政難でもはや公共施設の時計の調整すらできないのかと解釈していた。思い込みってコワイ。
オルケストラ・シンフォニカ・ド・ポルト・カサ・ダ・ムジカはこのホールで年50回以上公演している。この日は毎月1回開催されているお話つきのファミリーコンサート。テレビの収録もしていた。
曲目はブルックナーの交響曲第5番。お話したのはピアニストのGabriela Canavilhas。日本でいうと中村紘子みたいな存在なのかなと思ったが、すごい経歴でファッショナブル。ポルトガル語はわからなかったが、どうも1楽章から順に特徴的なところを指摘する専ら音楽的な話のもよう。20分ほど話した後で演奏に移った。
指揮は首席指揮者のクリストフ・ケーニヒ。ドイツの若い指揮者。本当にあちこちで若い指揮者がたくさん出てきてフレッシュな活動を展開しているなあと実感する。指揮は手堅かった。少し響きがクリアでないように私は感じたが、夫はすごく演奏を気に入っていた。
オーディトリウムはガラスと木材が組み合わされ、これまで見たことないくらいおしゃれで明るい。椅子の背もたれが低めなのも肩ひじ張らない雰囲気を醸し出しているように感じた。ファミリーコンサートだったため、子どもを連れて家族で来ている人が多かった。
お昼ごはんは、大繁盛店Congaへ。豚肉とその血を煮込んだスープのパパス。オーダーする人が多く、栄養ありそう。濃い。
ここの名物はピリ辛ソースで煮込んだ豚肉をはさんだサンドイッチのビフィーナ。ストレートなピリ辛で、パンにつゆがしみている。ひらひらしたお肉とつゆが身上の食べ物。私たちは一人ひとつを注文したが、一人で3コ食べる人がザラにいた。気持ちはわかる。
ポルトガルでよく食べられているじゃがいもとちりめんキャベツのスープ、カルド・ヴェルデ。昔長尾智子さんのレシピにじゃがいもとキャベツのスープがあって、その組み合わせのセンスに驚いたものだが、オリジナルはポルトガルにあったのだ。当時自分で作ってみて、ピンとこない味であったため、ポルトガルの本家を食べればこのスープのポイントを理解できるのではないかと期待したのだが、ここでも特徴の感じられない味であった。
夕方、また高速鉄道に乗ってリスボンへ戻る。帰りの列車は揺れもなく快適であった。冬時間になり、暗くなるのが早く感じられる。
夕ごはんはホテル近くのタラ料理の専門店Lurentinaへ。
ゆでた干しダラ。つけ合わせはゆで玉子、じゃがいも、玉ねぎ。干しダラは塩気が残っていて、噛みしめると独特の味わいがあっておいしい。じゃがいもやゆで玉子とよく合う。身が大きくて食べ応えがあった。昔有元葉子さんがポルトガル風のゆでたタラと野菜のレシピを紹介していたのを見て以来、ポルトガルで食べたらどんな味なのだろうと思っていたので、体験できて満足。とにかく身が厚い、しっかりと食べ応えがあるタラであることが重要だとわかった。日本で売っているペラペラのタラでは味の奥行きが出ない。
10月27日
ユーラシア大陸最西端のロカ岬へワンデー・トリップ。カイス・ド・ソドレ駅よりCPに乗る。30分でカスカイスに到着した。
カスカイスはひなびたビーチの町。ここからバスに乗るのだが、なかなかバスターミナルを見つけることができず、ぐるぐる歩いた挙句に1本乗り損ねた。
ロカ岬へは30分の道のり。車窓からは海を見晴らすオレンジ色の屋根と白い壁の家が並んでいるのが見えた。風光明媚で住んでみたいと思わせる景色だった。
ロカ岬は格別の場所で感慨深かった。独特のひらけた視界が前向き、かつ、これから先に何があるのだろうという気分にさせる。
有名な「ここに地果て、海始まる」の碑。たくさんの観光客が来ており、中国人の一行がいつまでもどかないので写真を撮るのは一苦労。
大海原は雄大だが、自撮り棒で写真を撮っていて崖から落ちて亡くなった人もいるそうだ。
いつまでも眺めていたい景色。行って良かった!
お花畑も広がっていた。
バスに乗ってシントラへ。王家の避暑地だった風光明媚な町は世界遺産に登録されており、斜面にお館が建っている古い町並みは趣がある。
周遊バスでペーナ宮殿、山の上にあるムーアの城跡、王宮と周った。
この町はチーズを使ったお菓子のケイジャーダが有名なのだが、お菓子屋さんは休業日で買えなかった。残念。
夕方、ロシオ行きのCPに乗ってリスボンへ戻る。途中集合住宅ばかりが立っている街がずっと続いた。洗濯物などが大々的に見えて、非常に生活感あふれる光景だった。
夜はリスボンのオペラハウスであるサン・カルロス劇場へ。マスネ「ウェルテル」のグラハム・ヴィックによる新演出。シーズン初日でもあった。
中はオーソドックスな“ヨーロッパのオペラハウス”。観客は一応おしゃれだが、すごく着飾っている人はおらずおとなしい印象。客席はほぼ埋まっており、作品への反応などからオペラの聴衆が存在していることを感じた。
「ウェルテル」は意外と多く上演される演目だ。海外でよく遭遇する。ポルトガルのオペラとはいかなるものぞ。ドイツの劇場がやっているような前衛的なプロダクションではなく、イタリアのオペラハウスの方向性に近いのではないかと予想していたのだが、ヴィック演出ということにもよるのか、非常に示唆に富む、レベルの高い公演であった。
演出が秀逸だったのは4幕。なんとシャルロッテは認知症のおばあさんになっており、夢と現実の区別がつかないのか、その間をさまよっているのかという様子、ウェルテルも亡霊かもしれないと思わせる。この二人によってウェルテルの最期が表現されるのだ。最後に子どもたちの歌が聞こえ、シャルロッテはアルベールとの平穏な老後生活に戻って行く。これは非常に説得力があり、「この手があったか!!!」と叫びたい気分だった。今の高齢化社会やその中に生きている人々にうまくリンクさせていると思った。
いつもこういうプロダクションなのかは定かではないが、幕が下りてお客さんが席を立ち出した後で、幕の向こうから「We’ve done!!!!」みたいな歓声と拍手が巻き起こったのが聞こえた。彼らにとっても大きなチャレンジだったのだろう。感激した。
指揮:Cristóbal Soler
演出:Graham Vick
ウェルテル:Fernando Portari
シャルロッテ:Veronica Simeoni
10月28日
リスボンの最終日はベレンへ行った。
通りを歩いていたら、イワシを焼いているのが見えた。
ベレンと言えば、パステル・デ・ナタ(エッグタルト)。ポルトガル一有名なパステイス・デ・ベレンは1837年創業の老舗。いつも行列ができており、お店の中も混雑している。
ジュロニモス修道院から伝えられた配合と作り方によるナタ。非常に薄い皮が層になっており、揚げ春巻きくらいパリパリしているが油っぽくない。クリームはあっさりしており、たっぷり入っている。そのままでも粉砂糖とシナモンを振りかけても、それぞれにおいしかった。
一人1コずつ注文したのだが、もっとたくさん頼めば良かったと後悔(あまりに店が混んでいて追加注文は難しそうであった。私はよっぽど食べたそうにしていたみたいで、夫が自分の分を半分分けてくれた)。一人3コの勘定で他のテーブルにナタが並んでいるのを目にし、最初は「そんなことしたら太るよ」と思っていたが、正しい行為であることがわかった。
ナタのお店のトイレもタイルに装飾があった(撮影は一生)。
ベレン観光のハイライト、世界遺産のジュロニモス修道院。エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業をたたえ、また新天地開拓へと乗り出していく航海の安全を祈願して、マヌエル1世が1502年に着工し、約1世紀をかけて完成した。大航海時代のポルトガル黄金期を象徴する建造物である。
サンタ・マリア教会。ヤシの木を模したと言われる柱と天井の骨組みが印象的。
インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの棺。
1960年にエンリケ航海王子の500回忌を記念してつくられた発見のモニュメント。天文学者、宣教師、地理学者など、大航海時代を切り拓いた職業が興味深い。
ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン、ザビエルなどの偉人が描かれている。
ベレンの塔。もともとはテージョ川の河口を守る要塞として造られたが、後に税関や灯台としても使われた。
ベレンの街を散策した後、15番の路面電車に乗ってリスボン中心部へ戻った。路面電車は満員の通勤電車なみに混雑していた。
イベイラ市場。2014年5月にリニューアルオープンしたばかり。フードコートは今どきのおしゃれな空間。座って食べられるので落ち着いて楽しめる。
リスボンの有名店が軒を連ねる。Sea Meというお店でサンドイッチの写真があまりにもおいしそうだったので入ってみた。
中はまぐろで、ハワイのアヒ料理のように表面だけが焼いてある。ブラウンブレッドにバターみたいなペーストをたっぷりぬってまぐろを挟む。超シンプルだが、大きめの粗塩がしっかり効いているのが食感と味のアクセントになっている。フルーティで辛めのヴィーニョ・ヴェルデ(白ワイン)ととってもよく合っておいしかった。
バイロ・アルト、バイシャ、アルファマの3つの地区を結んで走る市電28番。レトロだ。
地元の人と観光客で結構混んでいる。「貴重品に気を付けて」と声をかけてくれたおじさんがいた。ありがとう。
坂の向こうにテージョ川が見える。
ポルトガル最後の食事は大人気のシーフード料理店ロミオへ。大きなロブスターを注文している人が結構いたが、ツナサンドを食べてからあまり時間が経っていなかったので軽めのチョイス。チーズ(AZEITAO)、生ハムなど。高い品質でどれもおいしかったが、この後南米へ移動したらもうこんなにおいしい食材には出会わないかもしれないと、今生の別れ(?)であるかのように生ハムの脂身を噛みしめた(その後南米へ行き、この認識がどんなに見当違いか思い知るのだが)。食事を終えてお店の外へ出たら入店待ちの長蛇の列ができていてびっくりした。
今のポルトガルは一体どんななのだろうという好奇心で出かけた私。実際に行ってみて感じたのは、発展しているとは思わないがそれなりにやっていそうであるということ。歴史と文化の貯金がいまだ尽きず、それによる底上げ効果が今でも続いていることによって持ち堪えている。しかしそれにはドラスティックな変化が起きにくいという側面もあり、新たな成長分野が必要だとわかっているけど変われない。結果的に低空飛行を続けている。やっぱり日本と似ている。
ともかく、スペイン・ポルトガルの旅は思い残すことなく食べた。満足である。
(2014.10.24~10.28)
続いて、サン・パウロ編へ