ディープな国をライトにかすった~インド編~
シンガポールから次の訪問地デリーへ。シンガポール航空のデリー便(SQ406便)はエアバス380。両国間の往来のボリュームを物語る飛行機にたくさんの乗客がひしめく。一生はシンガポールのチャンギ国際空港で、ダッカ行きの便を同じようなインド顔の人々が鈴なりになって待っているのを見て、インドを象徴しているように感じたそう。
インドには4泊5日の滞在。個人で移動するのは大変そうなので、HISの現地発ツアーを利用することにした。
9月23日
最初のツアーは「3つの世界遺産を巡るデリー終日市内観光」。
日本語ガイド(インド人)つきで楽ちん。ツアーの参加者は私たちと大阪で会社経営をしている60歳くらいの男性の3人。
最初に訪れたのはフマユーン廟。ムガル帝国第2代皇帝の墓で、妃によって1565年に建造された。砂岩でできており、インド・イスラーム建築の傑作と言われる。朝から日差しがとても強かった。
観光客は少なかったが、修学旅行(社会科見学?)の生徒たちが来てにぎやかだった。
クトゥブ・ミーナール。ミーナールはモスクの尖塔のことをいう。インド最初のイスラーム王朝である奴隷王朝(1206~1290)のスルタンが、ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てたもの。5層からなっており高さは72.5メートル。
とにかく油断すると熱中症になりそうに暑いため、警戒しながらの観光となる。
遺跡見学の後は紅茶屋さんで試飲。ダージリンの香りが高かった。旅の先々が長いため、荷物が増える買い物はできない。
お昼ごはんはHIS御用達の「Moti Mahar Delux」。タンドリーチキン発祥のお店。店内はHISが連れて来た日本人であふれ返っていた。
タンドリーチキンとカリー、ラッシー。おいしかった!
口直しの玉ねぎがさっぱりアクセントになる(辛くない)。
食後は大統領官邸~インド門へ。この間の大きな通り(Rajpath)は夕方から人々でにぎわうとの説明だったが、にぎわう時間に来てみたかった。
インド門は第一次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑。戦没者13,500人の名前が刻まれている。
いよいよオールドデリーへ。街にはオートリクシャーがあふれている。けたたましいクラクション音!
ラール・キラー(レッド・フォート、「赤い砦」の意味)。ムガル帝国第5代皇帝が都をアグラからデリーに戻し、新たに建造した都城。1639~48年に建設され、赤い砂岩でできた城壁に囲まれている。入口はラーホーリ門。
一般謁見の間であるディーワーネ・アーム。かつて玉座には宝石がちりばめられていたそうだが、今は宝石はなし。
右の建物は貴賓謁見の間であるディーワーネ・カース。床の大理石に水を流して涼をとる宮殿などがあった。
土産物屋が並ぶチャッタ・チョウク(アーケード)。
ラール・キラーの正面にはオールドデリーを象徴する通り「チャンドニー・チョウク」が広がっていたが、ツアーの対象ではなかったため訪れることができず残念だった。遠くから眺めただけでも、人々と喧騒であふれ返っている様子がうかがわれた。
ライムジュース売り。どんな味か試してみたかったが、ガイドさんに「飲んではダメ」と止められた。
サイクルリクシャーに乗って移動する。運転手さんは力持ち。
ツアーは快適でスムーズに進む。理不尽な目に遭ったり予想外のハプニングが起きたりしないので、逆に「インド体験としてこれでいいのか?」という気がしてくる。たくさん出ているインド旅行記の影響もあるかもしれない。
滞在したザ・メトロポリタン・ホテル&スパのレストランCHUTNEYで夕食。ベジタリアンのコース。豆と野菜の前菜。
カリーは4種。オクラとなす、黒い豆、バター味、マッシュルーム。素材の組み合わせが素晴らしい。日本にあるインド料理レストランと発想が違う気がした。デザートはカルダモンのアイスクリーム。これも初めての味だった。
これまで私が食べてきたインド料理とは比べものにならないくらいハイレベルで、私はすっかり「インド料理万歳!!」。でも量は控えめを心掛けていたため、残してしまったところ、お店の人たちが気にして寄ってたかって理由を訊いてきた。
9月24日
2つ目のツアーは「世界遺産タージ・マハル観光」。
4:20起床、5:00出発、5:10にはニューデリー駅に着いた。アグラ行きの列車は6時出発なので時間がたっぷりある。駅に入るといきなりたくさんの人がフロアで寝ており驚く。
待合室でも寝ている人多数。しばらく座って列車を待つ。
列車がホームに入線してきた。中はエアコンが冷蔵庫の中のようにかけられていて寒い。防寒具を持っていなかったので新聞紙をひざに掛けてしのいだ。
定刻の6:00に発車。すぐにお茶のセットが配られた。ティーバッグとお湯のポット、マリービスケット。ヒマラヤ・トレッキングに行ったときの朝のお茶を思い出す。7:10頃朝ごはんが配られる。ブラウン・ブレッド、カレー味のコロッケ、マンゴー・ジュース。内容も量もちょうどいい感じ。
乗客は家族連れが多い。日本人も何組もいた。
トイレ。利用するガッツ足りず。
ほぼ定刻にアグラ駅近くまで来たが入線できず30分待ち。遅れて8:30に到着した。列車内が寒かったため下車後トイレへ行きたくなったが、駅のトイレは列車内以上に過酷そうな雰囲気。結局がまんすることにしたのだが、がまんしきれるか不安だった。
アグラ・カント駅。運転手と車が待っていた。
最初にアグラから車で1時間ほどのファテーブル・スィークリーを訪れた。1571年ムガル帝国第3代皇帝のアクバルが首都をこの地に移転させ、約5年をかけて建造した壮大な都城である。水不足によってわずか14年しか利用されなかったため、利用された形跡も少なく、きれいな遺跡として残っている。
モスクの訪問者の方が多い。
駐車場から遺跡まで離れているのでバスに乗るのだが、バス待ちの間に物売りが何人もやって来ては、一生懸命ガラクタを売ろうとする。
遺跡見学後、また1時間車に乗ってアグラへ戻る。
タージ・マハルの正門。手荷物検査が厳しい。デリーよりさらに暑く、日差しが強いと感じた。
タージ・マハルは、ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハルのために建てたお墓。22年の歳月を費やして1653年に完成した。多くの観光客でにぎわい、写真撮影のベストスポットでは記念撮影する人々が群がっていた。サリーを着てプロのカメラマンに撮影してもらうサービスが人気のもよう。欧米人の若いお姉さんがヘアメイクを気にしながらポーズをとって撮影してもらっていた。
想像していたよりもずっと美しかった廟。大理石の模様が細かい。
棺が納められている廟の基壇へ足を踏み入れるには、靴にカバーをつけなければならない。
シャー・ジャハーンはヤムナ河をはさんだ対岸にタージ・マハルと対になるように黒い大理石でできた自分のお墓を建立する構想を持っていたという。息子によって皇帝の座を追われ、アグラ城に幽閉された後に亡くなったため、実現されなかった。ドラマチックな話!
ヤムナ河はそういうエピソードなどお構いなく超然と流れているように見えた。
遺跡見学の後は大理石細工の工房(土産物屋)へ。工程がいくつもある。
午後はアグラ城へ。アクバル帝によって1565年に築かれた、ムガル帝国の権力を象徴するお城。
ジャハーンギール宮殿。暑かった。
ヤムナ河とタージ・マハルの眺め。ずっと見ていたかった。
大理石の室内は少しひんやりと感じる。
アーチは中央アジアのティムール朝の建築様式の影響を受けている。
デリーへの帰り途はひたすら高速道路をかっ飛ばした。日が暮れてゆく中、どこまでも真っすぐに伸びる太い道路が大地の広大さを感じさせた。途中いくつも現れた新興の高層住宅群が印象的。デリー近くになると渋滞が激しい。
忘れられないのはHISのガイドさん。信号待ちでいろんな物売りがやって来るのだが、ガイドさんは売りに来た工芸品に一目惚れ。何でもインテリアに興味があって、部屋を飾るのが趣味なのだそう。2点もお買い上げ。その後はどうやって買った品を家に持ち帰るかに専ら関心が移ってしまい(朝私たちが宿泊しているホテルまでバイクで来たのだが、バイクでは持ち帰れないため)、ツアー客のケアはどっちらけになってしまった。そういう経験も初めてだったので私たちは大笑いだった。
(↓これがそのお買い上げ品)
9月25日
ここからはフリータイム。朝ニューデリーの起点となるコンノート・プレイスを散策。
国旗を掲揚するところをしばし眺める。大きい。
お店を開く準備をしている人が多かった。
おじさんが近づいてきてはあれやこれや騙そうとしたり勧誘しようとしたりする。ただ散策するということが困難なくらい頻繁に誰かしら寄ってくるのだ。
廃墟のようなバスだが使われていた。バス停にある公衆便所のカオスぶりも強烈だった。
ホテルをチェックアウトして空港近くのラディソン・ブルー・プラザへ移動。翌朝6時発の飛行機に乗るため、あらかじめ空港近くに移動することにしたのだ。途中道路が渋滞で詰まり、けたたましいクラクション音が鳴っていた。
ラディソン・ブルーは豪華なインテリア。ここでの主目的はスパ。初めて体験するインドのアーユルヴェーダがお目当てだ。サウナ、ジャグジーに入ってから施術を受ける。チョイスしたのはインディアン・マッサージとシーロダーラ。
興味津々だったシーロダーラ。ごま油は予想よりも温かい温度だった。旅を続けて来て全身乾燥ぎみだったので、オイルを大量に補給してちょうど良かった。たら~っと流すオイルはひたすら気持ちよく、途中で寝てしまってほとんど経過観察できず。施術後頭が非常にクリアだった。いつも頭のどこかにある頭痛的な要素が全くなく、いまだかつてない晴れやかさだった。
16:30頃ごはんを食べたのだが、中途半端な時間だったためオールデイダイニングへ。魚と黒レンズ豆の2種類のカリーを注文。おいしかった。本当に「インド料理万歳!」なのだが、カリーを食べるとずっとおなかがすかない。また、インドの女性は若い人はスリムで美しいが、中年女性は一般的にでっぷりしている。この2つの事実から、インドの食事はカロリーが高いのではないかと夫と話した。
ホテルの部屋から見えた夕焼け。車が多い。
翌朝3:30に起床し空港へ。近くて便利だった。チェックインカウンターで手続きにやたらと時間がかかった。わざとだと思われる。その後も荷物のチェックや本人確認が何回も行われて時間がかかった。早朝ですいていたから良かったものの、混雑していたら大変だった。
空港のトイレ。男女の表示がインドならでは。
今回のインド訪問は日帰りツアーを組み合わせた日程だった。何事もスムーズで便利だったが物足りない感も残った。日数が限られていたために訪問地が世界遺産に片寄り、今のインドのダイナミックさに触れる機会がすごく少なかったことも物足りなさの理由だろう。次回インドに来るときはもっと日数を取って、ぜひディープなインド体験をしてみたい。
(2014.9.22~9.26)
続いて、イスタンブール編へ