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私にも言わせて!びわ湖ホール閉鎖問題

滋賀県のびわ湖ホールを半年間閉鎖するという案が滋賀県議会の会派で浮上。反対署名運動が巻き起こっています。

私は、びわ湖ホールの自主事業のオペラに東京から何度か出かけたこともありますし、来日オペラもNHKホールで観るよりずっと快適ですから、びわ湖に観に行ったこともあります。ホールのサポーターや声楽アンサンブルの方もがんばっているのを見ていたので、このニュースにはとても驚きました。背景的な事情など、よくわからない部分もあります。

アート好きとして、「とんでもない話だ。絶対反対!」と言うのは簡単ですが、その前にいくつか私の思うところを述べたいと思います。

文化と福祉を比べてはいけない

「福祉か文化か、どちらを取るか?」と迫られたら、全員が「福祉」と答えるでしょう。どちらかしか選べないのではなく、配分の問題だと思います。

そして、このような「福祉か文化か?」論法に持ち込まれないための唯一の防衛策が、その文化に対する住民の支持なのだと思います。これがない限り、必ず「福祉か文化か?」と言い出す人が出ます。文化を解さないと非難することは簡単ですが、「支持」を得ていたのかということも、同様に検証する必要があるのではないでしょうか。

「民間にまかせると質が下がる」は本当か?

私が気になったのは、「民間にまかせると効率ばかりを追求するので、芸術の質を維持できない」という論調です。

「民間」なのが問題なのではなく、劇場運営について理念も能力もない人たちに任せたとしたら、それは問題だということではないでしょうか。「官」だって理念や能力がなければ芸術の質という点では同じようなものでしょうし、芸術には観客がいるわけですから、お客がつかなければ淘汰されるだけの話です。結果的に質の低い芸術が生き残ってしまったとしたら、それは観客のレベルが低かったというだけでしょう。

ここでも「官か民か?」のどちらかしかないのではなく、民間主導だけれども官も支援するみたいな第三の道が開けるかもしれないと思うわけです。

大衆向け VS 芸術性

びわ湖ホールは、上演機会の少なかったオペラの上演などで功績あります。このことに関して、もっと大衆向けであるべきではないかとの意見も見ました。

ここでも、高い芸術性を追求することと、大衆に理解され支持されるということが両立しないかのように議論されていることが気になります。

なぜ二律背反的にとらえてしまうのかというと、両立している事例を日本人が見たことがないからだと思います。

だからクラシック音楽の裾野を広げようとすると、どこも同じような企画しか出てこない。

この点に関して、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団コンビが来日しないことのマイナス面は大きいです。MTTよ、来日しろと言いたい。彼は今、高い芸術性を追求しつつ、大衆に理解され支持されるにはどうしたらよいのかについて、自らの実践をもって語れる、クラシック音楽界きってのアーティストだと思います。ぜひ日本でもそこを見せ、挑発していただきたいです。

滋賀県民が決めること

びわ湖ホールの実績は評価するし、これからもホールが存続してほしいと思います。でもこれは、地方税を負担していない他府県者の意見に過ぎません。

近隣含めていっぱいホールがある中で、なぜびわ湖ホールが必要なのかとか、滋賀県規模の自治体が、ミニ新国立劇場みたいなホールを維持していくことが適切なのかと考えると難しい。

結局今回の問題は、滋賀県民の方が、どういうホールのあり方や予算配分がベストなのか、自分たちで議論して決めることなのだと思います。

そして、びわ湖ホールに関わって来た方や芸術愛好家ばかりではなく、一度もホールに足を運んだことのない方々にこそ、議論に加わっていただくことが必要なのではないでしょうか。