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チェンバー・コンチェルト&ザ・グレート

サンフランシスコ交響楽団のシューベルト/ベルクのフェスティバル。3プログラム目は、ベルクのチェンバー・コンチェルト(室内協奏曲)とシューベルトの「ザ・グレート」。

コンサートの開始1時間前に、いつものように30分間のプレトークがありました。本日のスピーカーは、シンフォニーでKEEPING SCOREのコンテンツを創っている方。

内容は、ベルクは3という数字が鍵になっていること、シューベルトの方は、一つの音から複数の調性が展開するところなどを例示して話していました。

チェンバー・コンチェルト

コンサートの1曲目は、ベルクがシェーンベルクの50歳祝いに書いたというチェンバー・コンチェルト。最初にティルソン・トーマスがマイクを持って「この複雑な曲を披露できてうれしい」とコメント。ピアノ、ヴァイオリン、木管の3パートからなる3楽章の曲であること。ピアノに座り、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルクの名前の綴り3つがテーマになっているとスペルに合わせて節つけて弾いてみせていましたが、スペル全部を使っていないのと、音名をドイツ語では何と言うかから説明していたので、ごちゃごちゃしていました(私はこの曲を初めて聴きました)。

曲は1楽章がヴァリエーション、2楽章がアダージョでソロが活躍、3楽章はヴィルトゥオーゾに展開するという構成。編成はピアノとヴァイオリンのソロの他は13人の木管という個性的なもの。ソリストはピアノがブロンフマン、ヴァイオリンがユリア・フィッシャー。

1楽章のヴァリエーション。テーマは先にさんざん説明を受けたのでよくわかったのですが、その次からどこが変奏なのか、いきなりぐちゃぐちゃな音楽が始まったように聴こえました。

ユリア・フィッシャーは、プログラム・ノートを見たら、世界中のオケからひっぱりだこのようですが、曲のせいか個性を前面に押し出す感じではなく、見た目も優等生のお嬢様みたいでした。

前回サンフランシスコ交響楽団で聴いたムターが、時代劇に出てくる賭場の姐さんみたいな迫力だったので、よけいにそう感じたのかもしれません。

演奏は、この曲を本当によく仕上げたと思いました。プログラム・ノートによると、一昔前までサンフランシスコ交響楽団のコンサートでベルクの曲が並ぶなんて考えられなかったそうですが、13人のオーケストラ・メンバーそれぞれが健闘していたと思います。

曲が終わったとき、ティルソン・トーマスも満足そうでした。ブロンフマンの仕事がプロフェッショナルで、最後のペダルの残響が素晴らしかったです。

ザ・グレート

コンサートの後半は、シューベルトの交響曲「ザ・グレート」。

私がサンフランシスコ交響楽団を聴きに行くときは、近現代の曲が多く、打楽器やピアノがずらっと並んでいる光景が通常なので、今日は舞台がずいぶんすっきりに見えました。

今ティルソン・トーマスはサンフランシスコ交響楽団を振るときに、曲が複雑でないとアンサンブルはほとんどオーケストラに任せてしまい、自分は表現のための存在になりきるというスタンスをとっています。

したがって、今回もそのスタンスで臨んだMTT。

指揮棒なしで振っていたのですが、何度も譜面台よりも小っちゃくなったり、行進したり、8ビートになったり。

非常に細かいニュアンスも大きな枠組みも表現されていたのですが、1楽章が終わるとハンカチを取り出して右の中指を押さえています。

どうもやりたい放題やっていたら、譜面台に手ぶつけて爪が割れて血が出てきたみたいで、かなり痛そう(2楽章をしばらく左手だけで指揮していた)。

job accident!

と言っていましたが、舞台で負傷してる指揮者って前代未聞。That’s MTT.

演奏の方は、いつもの超ディテイルにこだわったスケルトン演奏。今回ベルクとの共通点で、音の色彩が次々と変化したり、次に何が出てくるのか予測できなかったり、意外なものに展開していくところを聴いてほしかったみたいで、それらを明らかにすることに注力した演奏でした。

声部のバランスと歌い方、ヴァイオリンが伴奏にまわったところのリズムのモダンさ、スピード感などが、ティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団コンビらしかったです。

演奏は文句ない完成度の高いものでしたが、いろいろやろうと盛り込んであったので、ヨーロッパのオーケストラがシューベルトを演奏するときみたいに、天然のままのシンプルな演奏と比較すると、天然の方がしっくり聴きやすいかなという気がしました。

というか、この曲のC dur の響きがクリアなのに輪をかけて、MTTのアプローチがクリアで過剰に感じるのだ。

(2009.6.6)