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アメリカン・コミュニティ

行政が主導する公と個人の間に存在する公(パブリック)

渡辺 靖著 新潮社 2007年

サンフランシスコ交響楽団に興味を持ち、彼らが発するものを見るようになって以来、何度も目にした言葉「コミュニティ」。彼らは二言目には「コミュニティ」と言っています。

日本でしか暮らしたことのない私にとっては、この「コミュニティ」って何?日本の市町村にあたるもの?もっと狭い範囲をさすのか?という疑問がずっとありました。だからこの本のタイトルを見たとき、迷わず手に取りました。

著者は文化人類学の視点でアメリカの9つのコミュニティを紹介しています。日本で得られるアメリカ情報はステレオタイプ的なものが多いし、私はアメリカへ出かけても「クラシック音楽」という切り口で観察しているので、ここで紹介されている事例は知らない話ばかり。自分の知っていることとのギャップに驚きました。

印象に残っているのは、メガチャーチ、不法投棄の山だった地区を住民が再生する話、ゲーテッド・コミュニティ(町がゲートで仕切られている)、刑務所の街の話です。

この本では「カウンター・ディスコース」という言葉がひんぱんに登場します。これは、社会や時代を支配しているものの見方(=ディスコース)に対抗するものの見方のことで、アメリカ社会は常にカウンター・ディスコースが出てくる社会であり、それが人種や宗教などにとどまらない多様性のゆえんだと言っています。

考えてみれば、サンフランシスコ交響楽団の活動は、既存のオーケストラのあり方に対する一種のカウンター・ディスコースみたいなものかもしれません。マイケル・ティルソン・トーマスに至っては、存在自体がヨーロッパのクラシック音楽の伝統に対するカウンター・ディスコースかも。

先の私の「コミュニティって何?」という問に対しては、サンフランシスコ交響楽団というもの自体がひとつのコミュニティだというのが答えなのでしょう。

彼らと彼らの音楽を享受する人々、支援者からなるコミュニティなのです。だからボランティア・カウンシルという合議機関があり、そこでイベントの仕切りから聴衆の開拓、ボランティア、ファンドレイジングなどの重要部分を担っている。コミュニティだから共に発展しようというスタンス。したがって教育プログラムなどを提供するし、お客さんは基本的に応援モード。

これは、演奏者とお客さんに二分していて、対価を払って聴いて終わり。その場限りのドライな関係とは、発想が根本的に違うのです。

最後にアメリカの事例を知るということの意味を集約していると思うので、本の巻頭に紹介されているアレクシ・ド・トクヴィルの言葉を引用します。

わたくしがアメリカを調査しているのは、正当な好奇心であるが、好奇心のためばかりではない。わたくしは、そこに、われわれが利用しうる教訓をみつけたいためでもある。(中略)わたくしは、アメリカにおいてアメリカ以上のものを見たと告白する。わたくしは、民主主義の傾向、性格、偏見、情熱、つまることころ、民主主義そのものの真の姿を、アメリカにおいて追求しているのである。わたくしは、よしんば少なくともこれについて希望すべきものまたは恐るべきものを、知るためであろうとも、これを知りたいのである。

人に「知りたい」「何があるのか?」と思わせるところが、まさにアメリカなのだと思います。私がティルソン・トーマス&サンフランシスコ交響楽団を取り上げる理由もここに尽きます。