ヨーロッパ夏の音楽祭めぐり編
地球探検プロジェクト、第一弾はヨーロッパ夏の音楽祭めぐり(2014.7.23~8.25)であった。それぞれの音楽祭の特徴や興味深かった点は何か?さらに地域とのつながりをご紹介する。
マリインスキーⅡ(第二劇場)のススメ
初めてのロシア。サンクトペテルブルクの白夜祭音楽祭を訪れた。
おなじみのクリームがかった緑色が目印のマリインスキー劇場。
歴史ある劇場でバレエ「ジゼル」を観た(7月25日)。
でも今回のお目当ては、そのマリインスキー劇場の川をはさんだお隣に建つ「マリインスキーⅡ」(マリインスキー第二劇場)。2013年5月にオープンした新しいオペラハウスである。
明るいホワイエ。
すっきりとしたデザインのオーディトリウム。2000席。
芸術監督・総裁のヴァレリー・ゲルギエフ率いる「エフゲニー・オネーギン」(7月26日)と「トゥーランドット」(同27日)を観た。
マリインスキーⅡでのオペラ体験は鮮烈だった。考えてみると、世界中で最新のコンサートホールは続々とオープンしているけれど、オペラハウスの新規プロジェクトは中国を除けば少ない。したがって、世界最高レベルのオペラというのはたいてい歴史ある劇場で上演されるために最新テクノロジーのクリアな音響では体験できないのである。そこへ登場したマリインスキーⅡ。今までのオペラの音響には霞がかかっていたのではないかと思うほどクリアなのだ。歌もオーケストラもディテイルがはっきり聴こえる。このことがトータルのオペラ体験に大きな違いを生むのだ。まさに目から鱗であった。
しかもゲルギエフと言えば、あまりにもたくさんの仕事をこなし過ぎているがゆえにおっつけ仕事の権化みたいに思っていたが、自らが総責任を負っている音楽祭はおっつけ仕事ではなかった。彼はおっつけでなければやはり凄い人なのだ。
歌手は全般的に若手が多く、登用の仕組みがきちんとある印象を受けた。特筆すべきは20~30代の聴衆が多いこと。これまで行った中で一番平均年齢が低いのではないか。きっと高いお金を払わずにチケットを入手できるシステムがあるのだろう。そんなこんなでヨーロッパやアメリカに比べ、ここはずいぶん「オペラの未来が明るい」と感じさせる場所であった。
終演後の23時頃。外は明るくまさに白夜祭。
ロシアはビザを取るのが面倒だが、それでも十分に行く価値がある。
サヴォンリンナ・オペラ・フェスティバル
長年にわたり一度行ってみたいと思っていた音楽祭。ヘルシンキから鉄道に乗り、途中乗り換えて4時間15分。森と湖に囲まれたサヴォンリンナの町に到着する。夏の間長期滞在する家族が多い。華美を排した北欧的な雰囲気なので、高級リゾートというより釣りなどをしてアクティブに過ごす場所。
湖に建つ古城(OLAVINLINNA)がオペラ会場。主なホテルは会場へバスを出している。
桟橋を歩いて会場へ入る。
ウェルシュ・ナショナル・オペラの公演「マノン・レスコー」を観た(7月30日)。
独特の趣がある。
オーディトリウムは割とこぢんまりしている。湖上オペラと言えば、ブレゲンツもメルビッシュも「寒い!」が、ここは室内なので寒くなかった。
幕間の休憩時間。狭いけれど雰囲気がよい。
オペラの内容については、このとき拙著『古都のオーケストラ、世界へ!』の校正作業をしながら旅をしていたのだが、作業が佳境に入っていたため頭の中がそのことで占められており、あまり記憶に残っていない(せっかくはるばる行ったのに!)。現代風の舞台だったが、4幕になってもマノンがもうすぐ死にそうに見えなかったことだけはっきりと覚えている。
終演後。ここもまだ明るい。
シベリウス・エクスペリエンス
音楽祭ではないが、ヘルシンキでとても印象深かったので紹介したい。
フィンランドの偉大な作曲家ジャン・シベリウス。夏の観光シーズンに、観光客を対象に彼の音楽を紹介して体験するプログラムが毎日開催されていた(2014年6月17日~8月8日、お昼12時から45分間。入場料はイベントで演奏されたのと同じ曲が入っているCD付きで18.5ユーロ。最後にホワイエでドリンクが提供される)。
会場は中央駅からも近いヘルシンキ・ミュージック・センター(コンサートホール)。
エンターティナーのおじさんのおしゃべりにナビゲートされ、音楽と映像(フィンランドの様々な風景をモチーフにしたデジタルアート)でシベリウスを体験する。音楽はシベリウス音楽院の学生が自分で編曲した2台ピアノで演奏される。
曲はカレリア組曲から間奏曲やフィンランディアなど。
エンターティナーのおじさんは観客にどこから来ましたか?と尋ねていたが、世界のあちこちから来ていてさすがフィンランド!であった。トークの中で、シベリウスの音楽を広めた音楽家として渡邉暁雄を紹介していたのが日本人としてうれしかった。
気軽に参加できて楽しめる内容に工夫されていた。クラシック音楽を観光コンテンツとして生かす一例だろう。
ドロットニングホルム宮廷劇場のオペラ
一度は行ってみたかったシリーズ、次はスウェーデンのストックホルム近郊にあるドロットニングホルム宮殿の劇場で上演されるオペラ。
モーツァルトの「ミトリダーテ」初日を観た(8月3日)。
ストックホルムの中心部から地下鉄とバスを乗り継いで45分くらい。メーラレン湖のローベン島にある美しい宮殿である。ユネスコの世界遺産。
公演に先立ちプレトーク。
正面が劇場。周りは庭園が広がっている。
スタッフも伝統衣装。
この劇場、「スロット・シアター」と言って舞台背景が紙芝居みたいにバサッと切り替わる昔の機構なのだ。宮殿の劇場でその設備と来れば、モーツァルト時代の衣装に身を包んだ古風な舞台なのかと思いきやさにあらず。「スロットを使って今の時代に何ができるか?」を徹底的に考えた斬新な演出なのだ。
若手中心の歌手、古楽のオーケストラとも練習十分でとても楽しめた。いつも思うが「ミトリダーテ」は家でDVDを観ると途中で眠くなって挫折するのに、劇場で観ると退屈しない不思議な作品だ。観客はかなりオペラ好きが集まっていると察せられる反応だった。
小さな劇場で空調が整っていないため非常に暑く、汗だくになりながらオペラを観る。会場ではウチワを売っていた。トイレの数も少ないので特に女性は行列。
終演時間に合わせて劇場の駐車場からストックホルム中心部へのバスが出る(20分くらいで着いた)。
ベルギーの古楽の音楽祭
ヨーロッパの古楽の音楽祭とはどんなものなのだろう?ということで、ベルギーのブリュージュとアントアープでそれぞれ開催されている古楽の音楽祭に出かけた。
ブリュージュ
ブリュージュの音楽祭(Musica Antiqua Bruges。通称MA Festival)は1960年に始まった歴史ある音楽祭。2014年は8月1日~10日までの期間中、街中のいろんな会場で24公演が行われた他、若手の発表の場や研究・教育、楽器のマーケット、自転車でコンサートをはしごする催しなどたくさんの関連イベントが開催された。公演は声楽から器楽、大小様々なアンサンブルと多岐にわたる。国際古楽コンクールが非常に有名。私たちの滞在中にコンクールのファイナルもあったのだが、チケットが早々に完売したため残念ながら体験できなかった。
主な会場の一つであるコンセルトヘボウ。特筆すべき点は音楽祭の解説本が分厚いのだが、それを手にしてコンサートの開始前や休憩時間に読んでいる観客の比率が非常に高いこと。古楽は学術的な興味を持っている人が多く、また、そうしたアプローチの方がより楽しめるということだろう。
私たちが聴いたのはジョルディ・サヴァール率いるHesperion XXIによる「Masters of Contrapunctus」というコンサート。16~18世紀の19人もの作曲家の対位法を用いた作品を聴く。各奏者が当意即妙にからんでゆく連続。求道者みたいな風情のおっさん6人のグループなのに、若くてかっこいいアーティストのコンサートでも起きないような熱狂的な拍手を受けていて「おお!!」という感じであった(8月6日)。
8日の午前中はロシアのピアニスト、エリザベータ・ミラーのピアノフォルテのコンサート。C.P.E.バッハ、ベートーヴェン、シューマンの作品。
何を今頃と思われるかもしれないが、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを聴いていたとき、突然高校生のときに感じていた疑問が氷解した。左手のトリルである。ベートーヴェンのピアノ・ソナタには何小節にもわたって左手のトリルが続く箇所がある。高校生のとき、私は「何でこんなの書いたんだろう?」と思っていた。でも当時のピアノフォルテという楽器では、何小節も続くトリルによって表現される一貫した音楽的な広がりが、楽器の特性上最大限の演奏効果をもたらすものだったのだ。もしかしたら知らなかったのは私だけだったのかもしれないが、とても腑に落ちた。
午後は地方裁判所の建物で開催された若手が登場する無料コンサート。
男性5人のグループが楽器を持ち替えながら縦横無尽に演奏した。
夜は教会(SINT-JAKOBSKERK)でフランスのヴァイオリニストAmadine Beyer率いるアンサンブルGli Incognitiのコンサート。「Beatus Vir?(幸いなるかな)」というタイトル。
現代のキーボード2段重ねみたいなセッティング。
コンサートはソプラノのJulietta Fiorettiを迎えて、知られていない作品にドイツのヨハン・ローゼンミュラーの作品を組み合わせたモテットづくし。伸びやかで軽やかで羽が生えたように広がる音楽だった。
ブリュージュの音楽祭は、塔や運河などの中世の街並みが残って世界遺産でもある都市の歴史や特性、人口約12万人という規模が古楽とベストマッチであるということに尽きる。点在する歴史的な建築物をそのまま会場に利用することでその強みが活かされている。そして生き生きとした音楽を奏でるハイレベルなアーティストを集め、関連イベント含めて特定分野を高密度に集積させることでファンを集めることに成功している。唯一の難点は、この時期のホテルが高いことだけである。
アントワープ
アントワープでは2014年8月22~31日に開催された音楽祭(AMUZ)へ。ポリフォニー音楽(特にモンテヴェルディ)の特集。
初日のConcerto Platinoのコンサートに行った。Alta cappellaと呼ばれる中世の金管楽器のアンサンブルに声楽、鍵盤楽器が加わる。教会の前方だけでなく、テラスに散らばって演奏する曲など、様々な音響が楽しめた。
古楽とカテゴライズされる音楽とバッハ以降の音楽の大きな違いの一つは、メロディがパッと聴いて覚えられるかどうかだと思う。古い音楽は聴いているときは確かにインパクトがあるのだけれど、どこかすり抜けて行くようなところがあるのだ。同じものを繰り返さないことにもよるし、後の音楽はハーモニーで補強されている部分も大きいと思う。音楽のパラダイムは変遷してきたものであり、何ものも絶対的な存在ではないということがわかって面白い。
バイロイト音楽祭
一生(夫)は2度目、私は初めてのバイロイト。音楽祭のウェブサイトでチケットが買えるようになった恩恵を受け、4月初めにトライしてあっさりチケットを入手できた。
中央駅の表示。祝祭劇場の都市だと明言しているところがいい。
キリル・ペトレンコ指揮、フランク・カストルフ演出の「ニーベルングの指環」(8月10、11、13、15日)。3回あるチクルスの2回目。
来てみてわかったことがいくつかあった。
- バイロイトの客席の床は舞台で合唱団が乗るひな壇みたいな木材でできているので、足を踏み鳴らすと音がする。したがって観客は拍手するだけでなく、足を踏み鳴らして反応を返すことができるのだ。全身で表現できるのでこれが思いの外楽しい。
- 演奏中に物音を立てる、作品をぶち壊すような客は、さすがにバイロイトにはいなかった。「ブー」は激しい人であっても、作品へのリスペクトが根底にあるように聞こえた。もっとも、新演出の年の最初のチクルスだともっとすごいのだろうが。リングだと4日通うことになるので、周りの席の人とだんだん連帯感みたいなものが生まれてくる。
- みんな真剣に演出や音楽についてあれこれ語っており、それだけの許容性があるドイツはなんて豊かなんだろうと思った。
- 日本人がとてもたくさん来ている。
カストルフの演出は「ジークフリート」、「神々の黄昏」と進むにつれて「?」の数が増えていったため、ラストシーンでワルハラが燃え落ちた後、弦が新たな光のように入るメロディが聴こえても、通常のように「遂にここまで来た!」という感慨に浸る間はなく、「え、どういう意味なんだろう?」と頭がぐるぐるしていた。
そんな状態であったのだが、バイロイトの後、エッセンのツォルフェライン炭鉱跡を訪れて建物の中と展示を見た瞬間、1990年代のハリー・クプファーによるバイロイトの指環はこれが下敷きだったんだと頭に浮かんだ。ドイツの人たちはこういう産業文化や歴史を共有した上で作品に対峙していたのに自分は何もわかっていなかった。だからカストルフ演出もずうっと先になって、「あれはそういうことなのか」と思うことがあるかもしれない。とりあえず1回観ただけでは受け取りきれなかったので、映像化されたものを観る必要があると思う。
世界遺産になっているツォルフェライン炭鉱跡。
ルール・トリエンナーレ
そのツォルフェライン炭鉱跡を含む炭鉱や製鉄所の跡は、ドイツ・ルール地方の産業遺産群として保存されているが、近年アーティストが集まる文化の発信地として新たな発展を遂げている。ここを舞台に2002年から開催されているのが「ルール・トリエンナーレ」(3年毎に芸術監督が替わることによる)である。音楽、美術、演劇、ダンスなどの分野を横断する実験的なプロダクションを繰り広げているのが特徴だ。
デュイスブルクにあるティッセン社の製鉄所跡。
景観公園になっている。
「MELT」というタイトルのインスタレーション。アルミニウムの板の上を思い思いにぴょんぴょん跳ねて行く。周りに大きく反響する金属音も作品のうち。
倉庫を使って公演されたルイ・アンドリーセンのオペラ「De Materie」(8月16日)。価値観が変化する中での機械と人間、社会を映し出した作品。
奥行きが長い空間(50m×150mくらい)を活かして、飛行船が舞台奥や客席後ろから飛んで来たり、本物の羊の群れが登場したり、はたまたテントがずらっと並んだりする。オケピットも動かして倉庫の全ての空間を使っていた。
旧製鉄所の建物を用い、ホワイエもおしゃれな空間にアレンジされている。
古い機械を活かしたインテリア。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」(8月17日)。イタリアのロメオ・カステルッチの演出。機械が粉塵をまくコレオグラフィー。音楽が終わった後、粉塵の山は防御服を来た人間の手に負えなくなってしまう。
産業遺産である場を活かすということに関して、単に珍しい場所でアートをやってますというのではなく、場所の特性とコンテンツをきちんと連関させている。すなわち、工業化社会の先にあるもの、ポスト物質社会に生きる私たちのこれからはどうなって行くのか、どうすべきなのかということを産業遺産の場から発信するプロダクションになっている。そこがこのフェスティバルのポイントなのだと感じた。
オランダのコンセルトヘボウ
アムステルダムのコンセルトヘボウでは7~8月にかけて、資産運用会社のロべコがスポンサーとなって「ロべコ・サマーナイツ・ライブ」と銘打ったシリーズを展開していた。コンサート時間やプログラムはシーズン中と大きく変わらないが、オーディトリムをリボンで華やかに飾りつけ、観光客が気軽に来て楽しめる雰囲気のコンサート。観光都市であり、コンセルトヘボウはゴッホやレンブラントなどが並ぶ美術館とともにその目玉の一つなので、夏の間の観光客対応は必須なのだろう。
聴いたのは次の4つのコンサート。
- ピーター・ウンジャン指揮トロント交響楽団(8月18日)
北米的なオーケストラの世界。在欧カナダ人がたくさん応援に来ている様子だった。
ヴォーン・ウィリアムズ:タリスの主題による幻想曲
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(ジェームズ・エーネス)
ラフマニノフ:交響的舞曲
- ヤニック・ネゼ=セガン指揮ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団(8月19日)
マーラー:交響曲第6番。
とても印象に残ったコンサートだった。なぜなら、開演10分前までリハーサルしていて、「夕方から練習始めたのか?」という客への思わせぶり(?)でスタートしたから。蓋を開けたら、その日の午前中にやおら1ヵ月ぶりに楽器をさわり、「さてと、マーラーの6番ってどんな曲だっけ?」とさらい出し、「そうそう、思い出した!」とだんだん調子が出てきて、夕方からのリハーサルで「気になるところを合わせておきましょう」とやって本番を迎えたような演奏だった。コンサートの後に楽団のスケジュールを見たら、本当にその日が夏休み明け最初の公演だった!
- マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(8月20日)
こちらもルツェルン音楽祭などの予行練習的位置づけだろうが、それでも王者の風格がうかがわれる演奏だった。
ショスタコーヴィチ:交響曲第1番
ラヴェル:ピアノ協奏曲(ジャン=イヴ・ティボーデ)
ラヴェル:ダフニスとクロエ第2組曲
- アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団(8月23日)
渋い作品を取り混ぜて、手堅い実力を感じさせる演奏。
チャイコフスキー:幻想序曲「ハムレット」
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番(アンドレイ・コロベイニコフ)
フランク:「呪われた狩人」
ラヴェル:ラ・ヴァルス
*このページで紹介したすべての公演のチケットは主催者のウェブサイトで購入できました。